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いいも悪いも自分の中で繋がっている

〝食いしん坊〟の理由探し

私は自分が食いしん坊だと思っている。
大食いというほどではないけれど、割とよく食べる。
気がつくと食べることを考えている。
特に美味しいもののことを(笑)。

育ち盛りなら、よく食べる元気な子、舌が肥えてる、ぐらいで微笑ましいかもしれない。

でも、大人の食いしん坊なんて、イメージが決していいものでもないから、自分なりに控えめにしてきた。時には隠してきた。

そんな自分の中の駆け引きもあって、ごく友人のあいだでしか、私、食いしん坊なんだよね、なんて言ったことはなかった。

実際よく食べるけど、いつもアンテナ張ってて美味しいものを知っている、というのが周りの私に対する印象…のはず(苦笑)。

私にとって食いしん坊という当たり前の一部分。

3年ぐらい前。
ひょんなことから、食いしん坊というか、常に食べ物のことを考えている理由がひとつ判明した。

たまたま別の理由で受診したとき、医師から初めて、私の体質的なことを指摘された。

ちょこちょこ食べが推奨される体質らしいのだ。
むしろちょこちょこと口にものを入れないと、体調が悪くなるらしい。

確かに食べないときには具合がよくなかった。
でも食べ方のせいだとは思っていなかった。

私の体は頻繁に食べ物を欲していたのだ。

だから食べ物のことを考えることが多かったんだ!食いしん坊も納得!と一気に腑に落ちた。

食いしん坊の理由ひとつゲット。

自分の食いしん坊な部分はあまり好きじゃなかったから、分かりやすい理由をひとつ見つけて、なんだかホッとした。

美味しい沈黙への憧れ

前回笹団子の記事を書きながら、久しぶりに食いしん坊の自分に注目した。

そういえば、私は体質的になりやすいんだった。
医師から指摘された時のことを思い出していた。

沈黙。
この言葉から私が想像するのは、楽しい嬉しいよりも、緊張。気まずい感じ。

でも、笹団子食べているときの沈黙は、確かに美味しくて、味わうことに忙しくて、楽しく嬉しい沈黙だったのだ。

もしかしたら…
それって笹団子のときに限らないかも。

美味しいものを食べていれば、みんな無口になる。その沈黙は美味しい沈黙。

緊張だらけの沈黙が常の家庭で育った私にとっては、沈黙していても楽しいなんて憧れのひとつ。
美味しいものをみんなで食べていれば、そのとき漂う緊張感たっぷりの沈黙の質は全く別のものに早変わりする。

だから食べるということが好きだしこだわるのか…。

食いしん坊の理由の二つ目をゲットしたように思った。

この流れからすると、私が食いしん坊のなるのは必然だったかもしれない…
なんて思う(笑)。

私は◯◯

私は食いしん坊。
食いしん坊は食いしん坊でしかないと思っていたけれど、
私の食いしん坊は美味しい沈黙への憧れとつながっていた。

私は◯◯。
◯◯に入るものなんて、まだまだたくさんある。
HSP、優柔不断、すみっ子好き…

私は◯◯というとき、
自分の中の思いもよらない別のナニカと◯◯は繋がっているかもしれない。

かもしれない、と控えめに書いたけれど、
繋がっているのはむしろ自然なことなのだろう。

だって、なにごとも自分という体を通して経験しているし、そもそも自分の一部だから。

私は◯◯というとき、
さほど意識せず、自分に看板を掲げていることが時々ある。
いわゆるレッテル貼り。

その看板が生きやすくなるためだけのものならいいけれど、中には、本当は立てかけたくもないし、隠しておきたいものすらあるかもしれない。

でも…
自分が持っているものは全て受け入れよう。とにかく丸ごと全部。
あーだこーだと看板を掲げたり、ジャッジしたりせずに。

自分の中の嫌だと思っている部分ですら、どこかのいい部分とグラデーションのように自分の中で繋がっているはずだから。

    ー   ー   ー

頭の中にあったことを書き出していったら意外なところに着地した。

やっぱりアウトプットって面白い♫

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