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サバイバー支援者の自己対話:子どもの頃の自分像が変化した

過去から今まで感じてきた様々な思いを背負っている。
その重みを改めて感じた私は、今の自分、これまでの自分に続き、生きづらかった子どもの頃の自分にも声をかける必要があった。


「裏切るの?」
いまの私がアウトプットが面白いかもとようやく思えるようになり、解放感まで味わえそうとなったところで、ふと聞こえた、子ども時代の自分の声。

『裏切らないよ。』『私もこうして自分のこと出さずに結構我慢してるから、気持ちは誰よりもわかるよ。一緒にいるよ。』
これまでの私なら、そう言った。
そうして、アウトプットもっとしてみたい!という希望の兆しを捨て去った。ある意味それで不安を打ち消していた。

でも今回、不安になった私の気持ちを後先考えずにとにかく受け止めた。
そうしたら、不安も消えてきた。今の自分、これまでの自分を愛で始めたら、子ども時代の自分にかける言葉が変わった。

『裏切らないよ。』
最初に口から出た言葉はいつもと変わらなかったけど、今の自分の不安を受け止められるようになって、そのあとに小さな頃の自分に向けて自然と出てきた言葉はちょっと違った。

『辛かったよね。本当に。全然話を聞いてもらえなかったね。我慢が普通だったから、声かけてくれるのを待っていたよね。』

『でも辛さは永遠に続かないよ。確かに辛かったけど、いまこんなに自分を出せるようになってきて、それでも周りの人を支援出来ているよ。辛い経験があったおかげでこんな大人になってるよ。』

そうしたら、小さな自分からも意外とこんな言葉が返ってきた。
「うん、大丈夫。」
「私だって学校も一応行ってるし(本人注:ほぼ皆勤賞で登校していた。普通以上に見えるように過ごしていた、といま思う)。家でも何とかうまくやってる時もある。」
「なんでうちはいつもこんな厳しいんだろう、何でこんな言い方されるんだろう、って冷静に見てたりする。」

確かに…
泣きたい自分もいたけど、それなりに頑張っている自分もいた。
小さいときから、自分がいじめられたときも、嫌な思いはあったはずのに、相手はなぜこんないじわるなことや人が悲しくなることを言ってくるのか?きっと理由があるはずでは?と人の内面へ向ける関心のほうが強かった。

自分なりの折り合いをつけて生きていた。どこかクールで、世間でいう子どもらしい子ではなかったと思う(アダルトチルドレンあるあるです…)。

私に必要な癒しは人よりたくさんあるかもしれないが、だからといって無力なわけではなかった。単にすぐに保護だけが必要な子ではなかった。
過去の自分も、確かに生活して生きてきていて、それなりの強みはあった。
そんなことを思い出した。

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いつのまにか、過去と現在にかかっていた橋が新しいものにかけ変わっていた。そんな感じだ。
これまでは、互いを裏切らないよう、寄り添うために行き来する橋だった。
そんな支え合いの関係は縛り合いの関係になり、次の新しい変化の機会を失っていたようにも思う。

今はそれが、人が成長するように螺旋を描く橋、上へ上へと続く階段へと変わった。同時に見える景色も変わった。

これからよほどのことがない限り、以前のような過去の自分との関係に戻ることはないだろう。過去の自分の経験をしっかり踏みしめたからこそ、自分は今ここに立てていると確信しているから。

初めて自分との対話がうまく言った気がする。



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