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誰よりもワタシに読んでほしいのかもしれない

noteに記事を書き始めたころ。

スキの数が気になった。

本当に誰か読んでくれているのだろうか?

スキがつかないとき、苦手だけど書き続けてみる、という最初の強い決意はあっけなく失われそうになった。

今は、スキの数に関わらず書き続けようとする自分がいる。

それはとにもかくにも自分のため。

note記事は、自分と向き合ったときに自分の内側から湧いてきたことを中心に書くことにしている。

時折、いろいろ事前にリサーチして、締切に間に合わせるレポートのようなものを書きたい衝動に駆られる。

かつてよくやっていたことだから、こっちのほうが慣れている。
やった感じがする。
見た目も整っている。

誘惑だらけだ。

そんな誘惑に負けそうなときは、大抵〝正解〟を自分の外側に探しているとき。

これでいいのか?
これで合ってる?

自分に向けたはずの問いは、いつのまにか世間に向けたものになっていることがある。

私の内側にある答えを引き出すきっかけはくれても、答えが外側にあることなんてない。

なによりも…

内側に向き合うという、自分にとって大切な作業をして、それらを書き出して自分がその文章を自身で目にすること。

ふとしたとき、読み返したくなったとき、再び読み返すこと。

それが大切。

つまり一番最初、そしておそらく最後の読み手は他の誰でもない。私だ。

きっと私は、誰よりも私に自分の記事を読んでほしいのだと思う。何度でも。

そうして、かつて自分の内側に目を向けてこられなかった分を取り戻してほしいのだと思う。

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