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「かがみのむこう」

僕は、扉を開けた。

一瞬の眩しさに目をつぶる。
そっと目を開くと、扉の向こうには、真っ白な空間が広がっていた。
広さも、高さも、わからない。
ただただ白く光るその空間に、僕は足を踏み入れた。

どのくらい歩いただろうか。

目印となるものもなく、時間の経過もわからない。
果たして、進んでいるのだろうか。
そんな疑問が頭をよぎり、立ち止まろうとしたその時、前方に黒い点が見えた。
白く広がる空間に浮かぶ黒い点。

「なにかある・・・」

そう思い、その黒い点の方へ向かう。
点が大きくなるにつれて、それが人の形をしていることに気づいた。

「誰だ・・・」

歩くスピードが早くなる。

ついに走り出した。

「ここはどこだ」
「誰がいるんだ」

それを確かめたい。

人影に近づく。
顔が認識できる距離まで来て、僕は立ち止まった。

「おかえり」

そう言ったのは、僕だった。

いや、違う、僕は今ここにいる。
この、いま、僕のむかいに立っているのは、僕に良く似た人、だ。

僕より、少し歳をとっているだろうか。

「やっと会えた」

僕に良く似たその人は、こう続けた。

「ずいぶん、長い旅だったね。ずっと、待っていたよ」

「・・・誰だ?」

「ボク? ボクはボクだよ。せっかく会えたんだ、今はそんなことを気にする必要はないよ」

ボク・・・?
この人は、何を言っているのだろう。

僕は、混乱した。

ここで待っていた?
僕をずっと?
何のために?

次から次へと、疑問が浮かぶ。

「途中で呼び掛けたんだけど、前を見たまま応えてくれなかったから。今、こうして会えて嬉しいんだ。ねえ、ここに来るまで、どこへ行ってきた? 何か見つけた? 誰かのこと、好きになったりした?」

ボク、と名乗る人物は、僕に話しかける。

確かに、僕はここへ辿り着くまでに様々な人に出会い、いろんなモノを見てきた。
この空間へも、旅の途中で、ちょっとした好奇心から、足を踏み入れたのだ。

なぜ、それを知っている?
なぜ、それを聴きたがっている?

「・・・そうだな。ここへ通じる、大きくて黒い扉を見つけた」

僕はそう答えた。

「・・・ボクのこと、怪しいと思ってる? 怖がらなくていいよ。大丈夫、何もしないから。安心して。もっと笑って話してよ。話が聴きたいんだ。つらいことでもあった?ずいぶんと曇った顔をしてるよ」

穏やかな表情で、こちらを見つめてくる。

その姿を見ていると、なんだか、懐かしい感情が湧いてきた。
何年も前に離れた、僕が生まれた街の、小さな公園で。
陽が暮れるまで語り合った、あの頃。

もしかして、どこかで会ったことがあるかもしれない。

そう思い始めると同時に、あれもこれも、話したいことばかりがあふれてきた。

「・・・聴いてほしい話があるんだ」

「うん、じっくり聴くよ。慌てず、ひとつずつ話して」

僕は話した。

楽しかった思い出、つらかった思い出、告白できずに別れた人、嫌いな人、好きなこと、悩んでいること、目を背けていること。

「そっか。今はきっと迷っているんだね。このままでいいのかどうか」

「そう。今は退屈なんだ。毎日が同じことの繰り返しで。このままでいたいとは思っていない。でも、やりたいことが漠然としていて、今の生活をやめてしまうと、道に迷いそうなんだ。『自分は何がしたいんだ』ってね」

「ここまで、前を向いて一生懸命歩いてきたんだよね。諦めそうになったときもあるけど、それでも歩いてきたんだよね。だから、迷っているんだ、この道を歩き続けてもいいのか」

「・・・・・・」

「少し、迷ってみるのもいいと思うよ。寄り道して見える景色だって、悪いものじゃないし、退屈な毎日も色鮮やかに映るかもしれない」

「・・・・・・」

「今いる世界は退屈かもしれない。けど、それを素直に受け止めてみることも、必要かもしれないよ」

忘れていた感情が、思い出される。

環境が変わり、慣れない生活に疲れ、自分を傷つけたこと。

大切な人が、いなくなったこと。

何気ない一言で、傷ついたこと。

何気ない一言で傷つけて、泣かせたこと。

過ぎ行く日々の生活に流され、押し込まれていた感情。

放って置いた間に腫れあがっていた感情。

その傷に、触れられた気がした。

僕の頬に、涙が伝った。

つらかったよね。

誰にも話せなくて、ここまで来たんだよね。

ボクに話してくれてありがとう。

ボクが守ってあげるから、ゆっくり休みなよ。

・・・みんな同じだよ。

嬉しいことも、悲しいことも、いろんなことが何度もあって、その度に、道の途中で立ち止まりそうになって。

誰もがみんな、同じように通る道だよ。

だから、もう少しだけ、歩いてみよう?

せっかくここまで来たんだから。

下を向き、肩を震わせながら泣いている。

ボクはそっと、震えるその肩に両手を置いた。

「・・・・・・・・・い?」

小さく掠れた声が聞こえてくる。

「どうして・・・どうして、強くなれないんだ・・・?」

泣き声に混じって、消えそうな心の叫びが確かに聞こえた。

弱くない。じゅうぶん強いよ。

だって、ここまで、歩いて来れたんだから。

ボクに、話してくれたから。

涙交じりのその言葉は、ボクが運んであげるから。

その想いは、壊さず、大事に、大事に、抱いているから。

涙を拭き、歩き出した背中を、追った。

さよなら。

また、旅に出るんだね。

この先には、きっと、素敵な景色が広がっているよ。

後ろは振り向かずに、ボクを信じて進んでいくんだよ。

僕は歩き出した。

迷ってもいい。

進んだ先にいる、ボクを信じて。

変わらない真っ白な景色の中に、それは突然現れた。

大きくて白い扉。

深呼吸をして、淡く光るその取っ手を掴む。


僕は、扉を開けた。


Fin



2013/03/10 初編
2020/06/17 改編
ポルノグラフィティ「瞬く星の下で」収録『むかいあわせ』に感化され執筆。
楽曲を知っていた方が、よりわかりやすい…かもしれない。

A.S

「こいつに、飲み物一本買ってやるか」。そんな心持ちでご支援いただけたら、幸甚の至りでございます。