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私、初めて挫折しました…

今、人生で初めての感覚を味わっています…これが挫折感というものでしょうか…

なにがあったのか結論から言うと、“選考途中で不採用になった”です!

以前noteにこんなふうに書いた、この応募の選考です。

先日とある募集を見つけ、「うわ!!!これやりたい!!!」と強烈に思いました。

少し前の自分は、社会生活から離れすぎて「本当にやれるかな…心配だな…」とためらい、考え、申し込まずに終わる、という感じでした。あとは単純に「やってみたさはあるけど、まあいっか」程度の気持ちでした。

でも今回は全然ちがう。見つけた瞬間の興奮のまま、申し込みを完了させました。

こんなふうに突き動かされる感覚が久しぶりで、このチャンス絶対に掴むぞ!!とワクワクしています。

『「やりたい!」が湧いてきた最近の私』より

この文面からわかる通りめちゃめちゃやりたかったので、正直、超落ち込んでいます…ショック…悔しい…もっとこうしていれば違ったかな、いや、やっぱりだめだっただろうな…いやでも………

今日はこの悔しさをとことん感じ切るため、また、ぶっちゃけこんな感じの挫折感を味わったことがなかったので、今回の経験から学んだことや自分について新たにわかったことを書いていこうと思います!

ひとりの人間が初めて挫折した姿を、よければ面白がっていってください…!!




これが挫折か!

挫折経験がなかったと堂々と言うのってどうなんだろう…と思う部分はありつつ、取り繕わず正直に言います。

初めて挫折した!

いや、挫折をどう定義するかによりますね。

仕事や計画などが、中途で失敗しだめになること。また、そのために意欲・気力をなくすこと。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

辞書的な意味からも、くじける、折れるという漢字からも、目的を成し遂げる前に途中でダメになることという表現がしっくりきました。

細かく見ていけば目的を成し遂げられなかったことはあるはずですが、直視したくないから忘れている可能性もあるし、これまでは団体の中で頑張るのが基本だったので、自分ひとりでの挑戦という状況においてはなかった、とも考えられます。


わかりやすいもので言えば、就職活動だと思います。

選考を受け、採用されるかされないか。採用されるという目的を成し遂げようとする人にとって、不採用とは挫折を意味すると思います。

かつての私は、そこでの挫折を経験したことがありませんでした。

「自分がすごいから」というより、就職活動という競技においては相性が良かったからというのと、そもそも採用されるかわからない難しい企業を受けなかったから、というのが正直なところです。


そのため、不採用の連絡をもらったのが今回初めてでした。

就活のときは、不採用について「その会社とは合わなかったというだけで、人格否定をされているわけじゃないよなぁ」と思っていましたが、いざ自分がその立場になると、頭ではわかっていても自分そのものに自信がなくなるというか、「自分のなにがだめだったんだろう…」と悲観的に考えてしまうなと感じました。こりゃ苦しいわ…


しかも、なんとなくではなく、めちゃめちゃやりたいと思って応募したものでした。

簡単に受かるとは思っていなかったけれど、100%可能性がないわけでもなかったから「もしかしたらもしかすると…!」と期待していたのも事実です。そもそも可能性がないと思っていたら選考を受けていないわけで…

採用してもらえた未来を想像してワクワクしたりもしていたので、もうね、素直にめっちゃショック!!悔しい!!!残念!!!!笑


悔しさの裏で

でも裏を返すと、こんなに悔しいと思うくらい本気でやりたいと思っていたということだから、そのことに嬉しさも感じました。

適応障害と診断されてから元気になるまでの3年近く、純粋な「やりたい」というより「働かなきゃ、稼がなきゃ」という動機で動いていたり、そもそもなにかを「やりたい」という感情自体湧きづらくなっていました。そして仮に湧いても、挑戦するときに必要な精神的な土台が未完成だから、諦めざるをえなかった。

なので、やりたいという感情が湧いたこと、そしてそれに挑戦できたことで、元気になってきているという確かな手ごたえを得ることができました。


挫折経験がない=綱渡りな生き方

今回不採用通知をもらったことで、「不採用になろうが身近な人の評価は変わらないから大丈夫」ということがわかりました。

これだけ言うと当たり前に思われるかもしれませんが、これまでの私は、そのことを知らなかったように思います。

少し極端な言い方ですが、不採用にされたことがない自分というアイデンティティで生きていたのかもしれません。自分の価値を証明してくれる唯一のもの、みたいな…

それは同時に、不採用となった自分には価値がないことになってしまう。そのことに自覚的だったわけではないけれど、失敗することを恐れていたような気がします。

うまくいかなかったときにどうすればいいのか知らないから、うまくいけばいくほど、失敗したときのダメージが大きく感じられて、絶対に失敗できない状況に追い込まれていく。

失敗=自分の無価値を証明することになる感覚…


これは、どんな自分でも愛してもらえるという安心感を育めなかったことに繋がるのだろうと思います。

親の役に立ったら、いい子でいたら、頑張って成果を出したら認めてもらえる。存在していいと思える。

そんな価値観をベースに生きてきたから、常に頑張り、成果を出し、周囲から評価されるように生きてきた。それ以外の生き方がわからなかった。

いっそ早いうちに挫折していれば、挫折しようが親は変わらず自分を愛してくれると知れたのかもしれません。


今回「やりたい!」と思うことに応募し、不採用になる経験をしたことで、「とはいえ自分の存在価値がなくなるわけじゃない」とわかったし、とことん悔しがって、学びを得て、この経験を糧にぐんぐん進めばいいんだ!と思うことができました。

挑戦してよかった!!

私の挫折体験記にお付き合いいただき、ありがとうございました!

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