やっぱり父にイライラしちゃう【家族の話】
先日、母がインフルエンザにかかったことで、父と兄に対する私の感じ方が変わった話をしました。
かつて父の一挙手一投足にストレスを感じていた私でしたが、母のインフル期間を経て、「あれ、案外大丈夫かも」という手応えがありました。接し方がわかった、みたいな。
しかし、そんな簡単な話ではありませんでした…
母が回復し、今まで通りのバランスに戻った途端、「やっぱりストレスは感じるよなぁ」と打ちひしがれました。
この間の心の平穏はなんだったんだ?と戸惑いました。
ですが、母にこの話をしたところ、
「ゆめとふたりのときは緊張していたんだろうね」
と言われました(兄はいないことが多いので)。
確かに父は、私に対して結構気を遣ってくれているようです。
申し訳ないとは思いつつ、父へのイライラが態度に出てしまい、不機嫌になることがあります。なぜ私が不機嫌なのか説明することが大切なのかもしれませんが、そんなことできる精神状態ではありません(言われた父がいじける未来も見えるし…)。
ということがあるから、父は私の機嫌を損ねないように気を遣ってくれているのかもしれません(こうして書いていると申し訳なくなるな…)。
なので、母が寝込んでいた期間は、父なりに気を張って接してくれていたのかも。
そう思うと、再びストレスを感じるようになった理由も納得がいきます。
母が元気になって戻ってきたことで、緊張の糸が切れた感じ。
やたら嬉しそう。なんならはしゃいでいる。あのときの落ち着きはどこへ…
常に気を張らせるのは酷だとも思うけれど、みんなが心地よく過ごすにはお互いの努力が必要なわけで…
私が機嫌よく過ごせることが父の心地よさにも繋がると思うと、こちらが我慢するだけではなく、してくれたら嬉しいことやしないでほしいことを伝えることは、むしろお互いのためになるんだろうなぁ、と思ったり。
伝え方が難しいんですけどね。
変わったこともある
全部が元に戻ってしまったわけではありません。変わったこともあります。
それは、母と笑い飛ばせていること。
今までは「なんで気づかないの?」と感じていた父のちょっとしたエピソードを、昨日は母に「聞いてよ、さっきさ…」と話し、ふたりでお腹を抱えて笑いました!
(兄がケトルでお湯を沸かし、余った分をポットに移し替え、部屋に戻っていきました。その後、ケトルが再びカチッと音を立てたら、父が立ち上がりケトルの元へ。お湯が入っていると思ったみたいです。
本を読んでいたとはいえ、真横でポットに移し替えてたよね!?その前にお湯が沸く音もしてたよ!?
私や母からしたら、本を読んでいても多少周囲の音や動きを拾って常に把握しているのが自然なことなので、気づいていないことが不思議でたまらないのですが、父には父の視野や集中度合いがあるのでしょう。)
父の行動に対して、「なんで気づかないの?」という批判的な感覚から、「なんで気づかないの!笑」という、面白がれる感覚が身についたような気がします。
その感覚で見れる割合が増えれば、ストレスに感じることは減るんだろうと思います。
とはいえ、完全に移行できるかと言われると難しい。
父の態度にもよるし、自分自身の精神状態(心の余裕など)によっても面白がれるときとそうでないときはあると思います。
それでも少しずつ、面白がっていけたらいいなと思います。
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