見出し画像

結果は同じでも、思考の経緯がちがう

自分がいかに父の価値観の中で生活してきたか。そのことを思い知り、うんざりする今日この頃です。

私、暖房をつけるのにものすごく抵抗があるんです。主な理由は、父の過剰な節約意識。でも我慢している意識もないくらい、極力暖房をつけないことが当たり前になっていました。

この記事でも、父と暖房に関することを書いています。


最近、家の中でずっと被害者意識のようなものがあって。

それがなんなのかを考えてみると、「父がこうしてほしそうだからこうする」「母の反応が微妙だからやらない」みたいな、判断の基準が自分じゃなく家族にある状態だから、「やらされている」「やってあげている」感覚になっているのかもな、と。


今日、朝ご飯を食べようとダイニングにいったとき、私は肌寒さを感じました。一度は「まあ着込めばいけるか」と思ったのですが、父の思い通りになっている気がしてムカつき、やっぱりストーブをつけることにしました(父への反抗その1)。

するとストーブをつけたことに気づいた父が、「ここ閉める?」と聞いてきました。

我が家はリビングとダイニングの間が仕切れるようになっていて、夜はそこを閉めて過ごしています。理由はいくつかありますが、暖房の効きを良くするのもそのひとつ。


父としては、

ストーブがついている(それを否定するわけではない)

部屋が広い状態よりも、仕切った方が暖房の効きがいいだろう

閉めるか私に確認

という思考回路なのだと思います。

わからなくはないし、私もかつてはその方がいいと、疑いもせず問いかけに応じていました。


ですが今日は父の言う通りにしたくない!と思い、「狭くなるから閉めたくない」と意思表示をすることができました(父への反抗その2)。

でもその後、ソファに座っている父の姿が目に入るのがいやで、結局仕切りを閉めました(父への反抗その3)。


結果としては同じですが、父に言われたから閉めるのと、自分が閉めたいと思って閉めるのでは、中身はまったく別物だと思います。

今までいかに、自分で考えず生きてきたか。親の価値観に合わせて生きてきたか。

そのことに気づけたので、これからは「自分がそうしたいからする」という選択をしていきたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?