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【私小説】続、図書室とマリーちゃんと私 8、小さな物書きが気付くこと


 昨今、子供の本離れは深刻だというが本当にそうなのだろうか?
 いずみ小学校の子供たちに、その傾向は見られなかった。
 常に図書室には、子供たちがあふれていた。
 成績をつける以外の大人がいると言うのは、子供にとって安心するのだろう。
 怪我がなくとも保健室に子供が出入りするのに似ているのかもと考える。
 ちょっとしたおしゃべりを大人としたい。
 というか、子供は話を聞いてくれる誰かを常に必要としているのだろう。

 私はと言うと授業中は図書目録作りと整備に励み、休み時間になると本の貸し出しの傍ら、子供たちの話を聞いたり、一緒に絵を描いたりしていた。
 長い昼休みには、低学年の子のために紙芝居や絵本の読み聞かせなどもする。
 私にとって、司書の仕事は初めてのことばかりで実はとても緊張していた。
 司書の実習では、読み聞かせや語り聞かせストーリーテリングは授業中に生徒同士でする。
 練習で私の読み聞かせを聞いていたのは大人だ。
 子供相手に読み聞かせをするのは初となる。
 しかも、私には手遊びや歌を歌うだけの技量はない。
 致命的に音痴だったからだ。

「絵本を読みま~す。聞きたい人は集まってね」
 私は絵本を子供たちに見えるように抱え、ふうと一呼吸しいつもより少し声を張る。
 しかし、耳障りにはならないように、あくまで優しくゆっくりとだ。
 私はこの方法しか知らない。
 絵本を開き読み上げ始めると、視線がぐっと私に集まる。
 子供の真っ直ぐな視線にたえられるほど、私はまだ『先生』ではない。
 目の前の子供たち、その向こうにいるマリーちゃん人形。
 不慣れな私は、子供たちの向こうにいるマリーちゃんを見ながら読み聞かせをするしかなかった。
 
   *
 
 私が図書室でその小さな物書きさんに気付いたのは、仕事に慣れてきた夏休みの少し前のことだった。
 いずみ小の図書室は、一階と二階に分かれていて、一階はフリースペースの周りに本棚があり、低学年用の絵本や読み物が多い。
 それらは貸し出しをしない代わりに自由に読むことができる。一方、私がいる2階の図書室は同じ造りではあるが本は読み物に限らず調べ物に必要な図鑑や漫画の歴史の本などもある。中学年以上の生徒は2冊の本を一週間借りることができる。
 教室が3個くらいは入るかと思われる広いフリースペースには、休み時間になると本を借りに来る子だけではなく、おしゃべりをしたり黒板に落書きをしに来る子や追いかけっこをする子までいる。あまりに勢いがある子は一応注意するが、基本的に危険がなければ自由だ。図書室であって図書室ではないとも言える。
 なので、私のもとに来る生徒は本好きのおとなしい子ばかりではなかった。
 人の顔と名前をなかなか覚えられない私は、動き回る子はあまり覚えられないが、毎日本を借りる子や黒板やしおり用に置いてある紙片へ落書きをしにくる子はさすがに覚えていた。

 その中に、絵を描くのも本を読むのも好きな、どこか私と同じ匂いのする女の子がいた。
 4年生のリコちゃんだ。

   *

 私の図書室には色画用紙を細長く切ったものをたくさん用意していた。
 絵が印刷してあるものもある。
 その紙片が何かと言えば、本のしおりだ。
 オリジナルのしおりをいつでも作れるように準備をしていた。
 これは子供たちに大変好評で、絵を描いて私にプレゼントをしてくれる子もいれば、友達どうして交換したりといつも貸し出しカウンター周りは賑やかだった。
 私の仕事は、実はあまり細かくは決められていなかった。
 契約書には、図書室の整備、事務補助となっていた。 
 学校の要望としては、目録のデータを作り、バーコードを貼って管理できるところまでやって欲しいとのことだった。
 図書の貸し出しや読み聞かせ、子供の面倒を見ることは、余裕があればお願いしたい程度のことだったようだが図書室の整備をしていれば、授業時間以外は子供たちに囲まれることになる。
 結果として、子供の安全を確保する一員であることが求められていた。
 そして、私は図書室を任された以上、司書としてありたかった。

   *

 そうやって、書架の整理とデータ入力がルーティンして回るようになり、子供たちの顔を見て読み聞かせができるようになってきた頃、リコちゃんの存在に気が付いた。
 彼女は、いつも見ている子供たちの中で、少し違う行動をとっていた。
 フリースペースのカーペットに、ぺたりと張り付くような姿勢になり、小さなはがき大のノートに一心不乱に何かを書いていることが多かった。
 手紙かあるいは勉強のメモか?
 しかし、リコちゃんがノートに向かう熱い視線は、どこか私も知っているような気がした。
 私は興味が湧き、遠巻きにそっとリコちゃんに話しかけてみた。
 ノートをのぞき込むようなことはしない。
 それはきっと、彼女の一番大切なものだという確信があったからだ。

「リコちゃん。何を書いてるの~?」
 間延びした声で聞く。すっごく興味がある風ではなく、少しだけ気になる程度を装う。
 警戒されたら嫌だし、もしも『ないしょ』という返事でも許容できる雰囲気を残したかったからだ。
 大人の力、先生の力というのは、私が自分で思っているよりも大きい。
 無理強いをするような空気にはしたくなかった。
 リコちゃんはノートから視線を外し、私を見た。
「……物語を書いてるの」
「そっか。いっぱい書いてるの?」
「うん。これ3冊目」
 なんと!? 3冊目?? 
 予想よりはるかに書いていることに驚きを隠せず、表情に出てしまったようだ。
 それを確認したのか少し誇らしそうに、リコちゃんは笑った。
 
   *

 私の思った通り、リコちゃんは小さな物書きさんだった。
 いつも、彼女が黒板やしおりに書いているうさぎのキャラクターが物語の主人公だ。
「先生は、本が好きだっていってたし、絵もじょうずだから読ませてあげる」
 そういって、リコちゃんは私に書いていたノートを差し出した。
 私は思いかけずに預かった大きな宝物に胸が熱くなる。
 私は知っている。
 自分が書いたものを人に読んでもらうためには、勇気がいると言うことを。
 
 A6判のハガキ程度の大きさのノートにびっしりと書かれていたのは、ウサギの絵とそのウサギの男の子が月の船に乗って旅をする、冒険の物語だった。
 文字も上手で、しっかりと読めた。
(ホント、こういう子には勝てないな……)
 私は、ひとりの物書きとしてリコちゃんに白旗を上げた。
 書くのが大好きでしかたがない。浮かんでくる想像を書きとめずにはいられない。そういうことが小さなノートから真っ直ぐに伝わってきたからだ。
 私にも、そういう時期があった。書きたいことがありすぎて時間が足りず、勉強もそっちのけで夢中で書いていた。
「絵もかわいいし、良く書けてるね。
 ウサギくんは、色々な冒険をして仲間も増えてわくわくするね」
「まだまだ続きを書くよ!」
 リコちゃんは、少し誇らしそうに笑顔を返した。
「うん。楽しみにしてる。
 物語は、最後まで書ききることが大切だよ。時間はかかっても、頑張って完成させてね」
 私がそういうと、リコちゃんはちょっとハッとした顔をした。
 たぶん、他の人には言われたことがない言葉だったのだろう。
 神妙な顔でうなずいた。
 その瞳は、決意に満ちて輝いていた。

 そして、いつか小さな物書きさんは気が付くかもしれない。
 あの夏の日にわずかだけいた図書室の先生もまた、物書きであったことを……。