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【掌編小説】彼女の左手の手

 俺に生まれてはじめて彼女ができた。

 会社の後輩で4つ年下の愛子ちゃんだ。
 優しくてふんわりしていて、はにかんだ笑顔がとてもかわいい。
 俺にはもったいないような素敵な子だ。

 俺は営業課で彼女は総務で課は違うけれど、何度か顔を合わせているうちにとても気になる存在になり、思い切ってデートに誘って告白をした。
 愛子ちゃんは、顔を真っ赤にして照れながら、OKしてくれた。
 

 彼女いない歴28年の俺にとって、はじめての彼女だけど最後の彼女だったらいいなと思っている。

 つまり、その、彼女と結婚できたらなと……。

 あわわっ、気が早いのはわかっている。

『まだ、手もつないでないのに何を言ってるんだ!?』と突っ込まれそうだけれど、彼女を大切にしたい気持ちに偽りはない。

  *

 そうして、彼女との3度目のデートの時。
 なんとか今日こそは手をつなぎたいと、そわそわと彼女の薄ピンクのマニュキュアがきらきらしている左手を見て気付いてしまう。

 ――― 彼女の左手が、別の誰かとつながれていることに……。

 それは、少し透けていて手首から先の部分しか見えない。

 幽霊の手だ。

 恋人つなぎではないが、確かに彼女の手を男性の手がひいている。

 俺は、サーッと青ざめる。

 ここ数年、幽霊など見ていなかったからだ。

 子供の頃は、よく人に見えないものが見えた。
 怖かったし、それを言うと周りから嘘つき呼ばわりされるので黙っているようになったが、二十歳過ぎた頃から段々と見えなくなった。
 大人になると見えにくくなるそうだ。
 見えない生活に安堵して、やっと彼女もできたと言うのに、このタイミングで見え始めるのはどう言うことなのか?
 俺は動揺した。

「純くん大丈夫? 具合悪い?」

 彼女が、心配そうに俺をのぞき込む。
 いや、俺の心配をさせてどうする。
 心配なのは彼女の方だ。

 幽霊に手をつながれていると言うのに、まったく気づいていない。
 けれど、愛子ちゃんはずっと楽しそうだったし、左手の手のことも気にしていないようだった。
 悪い霊ではないのだろうか……?

「大丈夫だよ。それより、愛子ちゃん、お母さんにケーキ買って帰るんでしょ?」

「うん!」

 彼女の元気そうな姿に安心し、幽霊の手のことは少し様子を見ることにした。
 変なことを言って嫌われたくない気持ちもあるが、彼女を不必要に怖がらせたくなかったからだ。

  *

 そうして、その後も何度かデートを重ねて彼女と手をつなごうとすると先に、彼女とつないだ手が見えた。

 公園デートの時も、デパートでのショッピングの時も、映画館でもだ。

 俺が上映中の暗がりの中、意を決し彼女に手を伸ばすと、彼女は別の誰かと手をつないでいるのだ。
 浮かび上がる白く半透明な手は、彼女の手を守るようにしっかりと包みこんでいる。
 俺が触れる隙などまったくないと言わんばかりだ。
 

 上映が終わり喫茶店で二人で食事をしていると、会話の中から気付いたことがある。

「純くんの手って、大きくて温かくて安心する。大好き」

 そう、彼女はずっと俺と手をつないでいたと勘違いしているのだ。

 これは、なんとかしなければいけない。
 けれど、除霊の方法など俺は知らない。
 お守りでもプレゼントしようか?
 そんなことをしたら怖がらせてしまうかも知れない。

 ――― いや神頼みではなく、何としてでも俺の力で彼女を守るんだ!

 俺は彼女の左手を取り返すべく、考えを巡らせた。

   *

 しかし、今日も先客がいて彼女と手をつなげなかった。

 あの幽霊の手だ。
 俺が手を伸ばすと、それをかわすように反対の方に彼女の手をひく。
 どうやら、左手の手は彼女を俺から守っているらしい。

 俺はそんな獣じゃないぞ!

 手をつないだら、次はキスをして、そのあとは……。

 はっ! いや、やっぱり獣かもしれない。
 
 左手の手は、俺のそんな心を読んだかのように、シッシッと手を払うしぐさをした。
  

 とはいえ、交際は順調に進んでいた。
 いや、手もつないでないのに順調と言えるかどうかは不明だけれど……。

 今日は、ついに部屋に彼女を招待した。
 一緒に映画のDVDを見て、食事をするだけだ。
 決して下心はない!
 だいたい、まだ手もつないでないのにその先はないだろう? 
 と言いつつも、俺は彼女が自分の部屋に来ることを想像し赤くなった。

 今日こそは、絶対に手をつなぐぞ!

   *

 まあ、そう気合を入れて念入りに掃除した部屋に彼女を招き入れたものの、彼女は映画を見ながらうとうとしていた。

 もう週末だ。
 仕事で疲れているのだろう。

 よこしまなことばかり考えていた自分を情けなくなりながらも、彼女を休ませてあげようと上着をかける。
 すると、彼女が寝ぼけながらむにゃむにゃと言う。

「純くんの手って、温かくて大きくてお父さんのこと思い出す……」

 彼女は、その言葉の通り安心しきって安らかな寝息を立てている。

 ――― そういうことか……。

 俺は、ようやく合点がいった。

 彼女の父は、彼女が幼い時に事故で亡くなったと聞いている。

 彼女を守るように繋がれた男の手は、彼女の父親の手だったのだ。

   *

「はぁ……」

 俺は、ため息を吐いた。
 勝てるわけがないじゃないか。

 けれど、その人を説得しないとこの先はないことが分かった。
 避けて通ることはできない。

 俺は冷蔵庫から、キンキンに冷えた缶ビールを取り出し、プシュッと開封してテーブルに置いた。

 自分も飲みたいが我慢だ。
 これは俺が飲む分ではないからだ。

 このビールは、お義理父に許しを請うためのものだ。

「お義父とうさん、愛子さんのことは大切にします。だから交際を許してください」

 俺がそういうと、あの手がやってきてビールを突き返してきた。
『こんなものでは、懐柔されん』と言われたようだった。

「そうは言わずに……」

 俺は、手にビールを押し付ける。

 すると、諦めたかのように受け取り飲んでくれたようだった。
 白い人影がぼんやり現れ、少し涙交じりの声が聞えはじめた。

『僕はね。あの子の手をずっと握っていてあげたかったんだ。なのに、そうしてやれなかった……』

 思いやりのある優しい声だ。

「だから、ずっと守ってあげてたんですね」

『なのに、お前みたいなのが現れた……』

 揺れる白い影。
 そして、その手はイライラと指で机をたたいている。

 でも、ここで怯んではもう二度とチャンスはないかも知れない。

「すみません。でも、愛子さんのこと本当に好きなんです。大切にします!」

 俺は、お義父とうさんの右手を両手で取って誓う。

 彼女の手すら握ってないのに、どうしてお父さんの手を握ってるのか自分でもよくわからないがとにかく俺も必死だ。
 確かに、お義父とうさんの手は大きくて温かかった。
 俺は、本当にその代わりになれるのだろうか? 

 お義父とうさんの右手は、俺の手を気持ち悪いとばかりに振りほどいた。

 そして、その後、硬く拳を握った。
 殴られるのかと思ったがそうではないようだ。
 震える拳は不意に解かれた。

 そして、ふわふわと手は彼女の方へ行き、その頭をなでた。
 それはそれは愛おしそうに、名残惜しそうに……。

『娘は私の手ではなく、右手にも左手にもたくさんの幸せとぬくもりをつかむだろう。
 だから、お前はせいぜい長生きしてその手を離さないで守ってやって欲しい。僕の分まで……』

「はい。お義父とうさん。約束します!」

『僕のことは娘には話さないで欲しい。ずっと見てて気持ち悪いと言われたら悲しいしね』

 そういうと、お義父さんの白い影と右手は消えた。

 そこにあるのは、空になったビール缶だけだった。
 

   *

「……うん? あれ映画終わっちゃった」

 彼女が、起きて目を擦りながらぼんやりとエンドロールを見ている。

「いい夢見れた?」

「うん。亡くなったお父さんがでて来て、頭をなでてくれた」

「そっか、よかったね」

「あと、早めに二人で墓参りに来いって言ってた。気が早いね」

 愛子ちゃんは、ふふっと笑った。

 ―― お義父さん! そのつもりは十分ありますが、まだ俺お義父さんの手しか握ってないですよ!?

 とにかく、許可がでたのだろう。
 
 俺はそう解釈し、彼女を送る帰り道に思い切ってその手を取った。

 ハードルは高いが恋人つなぎというやつだ。

 指と指を絡めて、決して離さないという誓いを込めて。
 今まで触れられなかった分も、取り返したい気持ちもあった。

 すると彼女が、ハッとしたように俺を見て顔を赤らめもじもじとした。

「何度も純くんと手をつないだはずなのに、なんだか今日はドキドキする」

 だから、俺も素直に言ってみる。

「俺もすごくドキドキしてる」

 いつもより近くに感じる体温。

 やっと触れられた喜びと、お義父さんとは違うと認識されたことにうれしさを感じた。

 
(だからといって、調子に乗ってさらに先に進もうとはしないので、お願いですからお義父さん俺の首根っこを引っ張るのはやめてくださいっ!)

 彼女の左手にあった手は、今は俺の後ろえりをぎっちりとつかんでいる。

 俺が彼女にプロポーズをして一緒にお義父さんのお墓参りに行くには、まだまだ先は長そうだ。

 * お わ り *


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