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【私小説】続、図書室とマリーちゃんと私 10、私の名前はマリーさん?

 私のいずみ小学校での任期ももうすぐ終わりの9月。

 盆地の残暑は意外に厳しい。
 私は、ベージュのエプロンをバサバサと振り風を起こししばし涼む。
 まだまだ30度以上の気温の日もあり、遅い夏バテを感じていた。
 とはいえ、緑が生い茂り一回りも二回りも大きくなったような山からは、おろして吹く熱風だけではなく、時折り秋の気配を感じる冷涼な風も訪れるようになった。
 それは、この学校との別れの合図でもある。

(まだ、暑くてもいいのに……)

 私は体力とは裏腹に、この夏が永遠に続けばいいのにと、窓から見える大きな山を見ながら思っていた。

   *

 夏休みが終わり、小学校も通常のペースが戻って来た。
 夏休みと言う充電を終えた子供たちは日に焼けて真っ黒になり、元気いっぱいに図書室で遊んでいる。
 だいぶ私の存在も定着したようで、夏休みの出来事を教えたくてしょうがない子も多い。

 休み中に自由参加で読んだ本の紹介を書いてもらうようにと、お手紙のような印刷物を配ってもらっていたところ思いのほか集まった。
 感想だけでなく、登場人物の絵が描いてあったり、本物の手紙のようで面白い。
 私は、その読書のお手紙をニヤニヤしながら読み、せっせと掲示板に貼る。
 すると、背後から声をかけられた。

「あ、マリーさん! それ俺の手紙!」

 少年の声は、確実に私の背中にぶつけられたものだ。

(ん? マリーさん? マリーちゃんじゃなくて?)

 私は不思議に思いながらも振り返る。

「シュンくん、感想書いてくれてありがとうね」

 私がにっこり笑うと、シュンくんは照れくさそうに手を振り走り去って行った。
 私は、傍らにいた六年生のアカネちゃんに聞く。

「シュンくん、私のこと『マリーさん』って呼ばなかった?」

 お昼の放送で朗読を担当している彼女は、よく私に本探しを頼む。
 データベースも分類もほぼ完了して、自分で探すよりはるかに早く見つけてもらえるからだ。
 ちょっとハスキーで大人っぽい声の彼女の昼の放送を、私はいつも楽しみにしている。

「あー、『マリーさん』ね。先生、影でマリーさんて呼ばれてるよ。悪口じゃないよ。あだ名ね」

「ええっ!? なんで??」

 私は、自分の知らないところであだ名がついていたことに驚きを隠せない。

「だって、似てるじゃん?」

 私は、マリーちゃん人形のように金髪でも青い目でもピンクのドレスも着ていない。
 どこにも共通点はない。
 私は首をひねりながらたずねる。

「私とマリーちゃん人形って、似てるの?」

「うん。いつも図書室にいるし。髪型、すごい似てるよ」

 アカネちゃんは私の髪を指差し、ピッタリなあだ名をつけてやったとばかりにくすくすと笑っている。
 出どころがアカネちゃんだとは限らないが、その姿を見る限りこれは5,6年生あたりでは共通の認識であるとうかがえた。
 確かに、私は肩までの髪にくるくるのパーマをあてている。

 先生方の中にも、波打つ髪をしているのは私だけだ。
 子供からすると、この髪型をしている身近な人はマリーちゃんと私だけなのだ。
 それに加えて、私とマリーちゃんはいつも一緒にいる。

 いつも図書室にいるマリーちゃん=いつも図書室にいるマリーちゃんの髪型の私=マリーさん。

 すごい公式に、私は合点がいった。

「なるほど……」

「あだ名、いや?」

「ううん。気に入った!」

 あまりにも、私という存在にふさわしいあだ名に、心の中で笑いが止まらなかった。

   *

 私は、今月の末にはこのいずみ小学校を去って、次の小学校へ行く。

 たった半年しかいなかった図書室の先生の名前を誰が覚えていてくれるだろう?
 少し大きな学年の子ならば、しばらくは覚えているかもしれない。
 低学年の子なら、すぐに忘れてしまうのは当たり前だ。

 正直、私はそれを寂しいと思っていた。
 私が残せるのは、精々目録のデータベースと分類した書棚くらいなものだ。

 しかし、それが『マリーさん』というあだ名ならどうだろう。

 いずみ小学校にいた、たった半年で幽霊のように消えてしまった『マリーさん』と言う名の図書室の先生。

「なかなか、面白い怪談になりそうね?」

「でしょー。いいあだ名だと思うんだよね」

 子供は怪談が大好きだ。

 怖い怖いと言いながらも、その不思議さに魅了され、想像力をかき立てられる。
 

 私があれだけ子供の頃に恐ろしいと震えあがっていた七不思議が、私の名で増える。
 
 私はそのことに、言い知れぬ喜びを感じた。