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浪人デビュー

 2012年4月。元モーニング娘の中澤裕子がIT社長と入籍したあの頃、俺は大阪の予備校で浪人生活を始めた。

 何としてもこの1年で合格せにゃあかん。背水の陣で臨む戦い。その戦場となる教室の前に立ち、「いざ参ろう」と教室の扉を開ける。しかし目に入ってきたのは想定していた光景ではなかった。高校を卒業し、これまで自らの溢れるエネルギーを抑えつけていた憎っくき規則から解放された喜びで、皆、髪を染め、見た目に気を使い、「なー今度遊びにいかん?」とニヤケ顔の男たちが女たちに遊びの約束を取り付けようとしていた。(当然そうではない者もいたが)

 どうやらこの現象を、大学デビューならぬ、浪人デビューというらしい。


 浪人デビューだぁ!?貴様ら大学デビューが叶わなかった負け犬やろがい!!あぁそうだよ!俺も負け犬だよ!棚にあげちゃいねぇよ!!分かった上で言っとんじゃい!!わざわざ金を払って入ったこの予備校で何を大学の擬似体験しようとしとんじゃい!!風俗じゃねぇんだぞここは!実際なりたかった自分を擬似体験して悦に浸ってんじゃねぇぞ!目ぇ覚ませ!!己の立場弁えんかい!!

 嫌悪感が毛穴からぶすぶすと吹き出してきたところで、チューター(高校でいう担任の役割をする人)が教室に現れ、それに伴い皆各々の席に落ち着いた。まぁ心を鎮めましょう。思っていた空気感ではなかったが大学受験は個人戦。こやつらは存在しないものとして扱おう。背筋を伸ばし周りより少しばかり視線の位置を高めたところで俺の浪人生活の幕が開けた。

 ちなみに予備校は席が固定されていないため、授業ごとに各々好きな場所に座ることができる。(今思うとこれも大学と同じシステムの為、浪人デビュー勢の悦を加速させていたのだろう)

 しかし俺は、全授業を教室の最前列のど真ん中で受けることを決めていた。これなら忌まわしき浪人デビュー群を視界に入れることなく授業に集中できる上に、受験のプロである予備校教師達の金言を取りこぼすことなく享受できるからだ。それに加え、「集中力 高める方法」とスマホの小さな窓に入力することで夜な夜なせっせと仕入れた知識を生かし、俺は授業中2本の足をぴっちり並行に保ち、背中と太ももが常に綺麗な90°を保つ姿勢をキープし続け、定期的に糖分の摂取を行った。もちろん休み時間ごとの軽いストレッチも欠かさなかった。偉い。


 それが3ヶ月ほど続いたある日、クラスで話す機会の多かった男子(Aくん)が血相を変えて俺のところへ走ってきた。

 「おいオサナイ!今お前、女子からむちゃむちゃモテてんぞ!」


 晴天の霹靂だった。(晴天の霹靂って字面カッコいいから使いたくなるよね)はて。何のことか分からない。なにせモテる理由が見当たらない。当時居合い抜きの達人よろしく、邪念を排除し空気のわずかな流れすら検知できるほど精神を研ぎ澄ませていた俺は(居合い抜きの達人が本当にそうかは知らん)女子と一言も会話を交わしていなかった(大袈裟ではなく本当に一言も話していなかった)。その為、女子が俺に好意を向ける理由が分からなかった。訝しむ俺に対し、Aくんは続けて言う。

 「チャラついてる男子が多い中、最前列のど真ん中で授業を受け続けているオサナイ君、ストイックでカッコいい!、、やって!」

 なるほど、気分は悪くない。ようやく理解したか貴様ら、自分の立場を。そうだ私が正しいのだ。浪人生とはかくあるべきなのだ。まぁ3ヶ月を無駄にしたのは同情するが、まだ浪人人生は半分以上残っている。私を見習い頑張りたまえ。まぁ例え欲しても最前列のど真ん中だけは譲らないがな。自分の歩む道が間違っていないことを確信し俺は勉学に励んだ。



 それからさらに3ヶ月経ったある日(季節は秋)、3ヶ月前と同じ足取りで再びAくんが血相を変え近づいてくる。

 「おいオサナイ!今お前、女子からむちゃむちゃ嫌われてんぞ!」


 晴天の霹靂Part2。何だ俺の知らないところで世界では何が起きてるんだ。自分の立場を理解したのではないのか貴様ら。なぜ寝返ることがある。私は何もしていないぞ。

 「半年以上も最前列で授業を受けてるオサナイくん、さすがにストイックすぎてキモイ、無理!、、やって!」

 「やって!」という関西弁の語尾が急に不快なものに感じ始めた。そうか自分の味方だと思っていた彼女らは結局理解者ではなかったのか。


 「鬼ごっこしようぜ!あ、オサナイもやる?」
 「うん、やるやる!」
 「じゃあとりあえずオサナイあっちに全力で走って!」
 「オッケー!」
 50mほど全力で走ったところで、立ち止まり振り返るとみな姿を消していた。そんな幼少期の思い出をふと思い出した。今思うとあれなんだ。鬼ごっこで1人指名して走らせることなんてないだろ。そうかイジメか。おっけおっけ。


 意識を2012年に戻したところで、ふと怒りが湧いてきた。俺はお前らに一才干渉してないのに、何で勝手に俺を好み、俺を嫌う。あとそれをわざわざ伝えてくるこいつは何なんだ。敵か?味方か? 

 まぁ結局やることは変わらない。大学受験は個人戦。ちょっとでも周りに期待した自分が間違っていた。もう誰にも心は揺れ動かされない。もう目の前の科目だけが友達。んーーー大好きぃ。国語ちゃん可愛いねぇ。数学くん今日帰りマック行くー?英語ちゃん意外とスマブラ強いんだねぇー。化学ちゃん今度大会あるんだって?頑張ってー。地理ちゃん昨日はごめんね俺が悪かったよ。(俺は地理選択だった)みんなー!今日も一緒に仲良く帰ろうねぇー!あ、みんな身体中にいっぱい赤い丸ついてて可愛いねぇーー。なでなでしちゃうーー。


 結果、俺は無事第一志望の大学に合格できたが、その後Aくんおよびその女の子達と関わることは一切なかった。

わざわざ読んでいただいてありがとうございます。 あなたに読んでいただけただけで明日少し幸せに生きられます。