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「日本マラソンの父」金栗四三さん

今回は、運動が苦手・嫌いな子や、運動を頑張って欲しい子に話すとモチベーションのあがる話を紹介します。

みなさんは、大河ドラマは知っていますか?

NHK大河「いだてん」のモデルとなった金栗四三(かなくりしぞう)さんについてお話をします。なんと、この方は、箱根駅伝を創設した人ですよ。

熊本県に生まれた金栗さんは、小さい時はとても体が弱かったそうです。

昼はよく眠りますが、夜になると必ず起きて泣き出し、それも一晩中泣き通しで、おうちの人は本当に大変だったそうですよ。

夜泣きは満2歳まで続いて、お母さんのシエさんは、体の弱かったお父さんに遠慮して、泣き叫ぶ四三さんをおぶって夜通し歩いたそうです。

そんな金栗さんは、とあることでマラソン選手としての才能が磨かれることになります。

それはなんと、「登下校」です。

自分の家から、学校までは石がたくさんある山道を片道約8キロメートル。往復16キロメートルを毎日走ったそうです。いつの間にか、弱かった体もめきめきとたくましくなり、走ることも大得意になりました。今の時代は、あぶないので登下校中に走ることはよくないですけどね。

次第にマラソンの才能を開花させていった金栗さんは、なんと、当時の世界記録を27分も上回る2時間32分45秒という大記録を打ち立て、初のオリンピック日本代表選手になるのです。

オリンピックの結果がどうなったのか、気になりませんか?

オリンピックの会場はスウェーデンのストックホルム大会でした。しかし、日本から17日間に渡る長旅や慣れない環境で、体調万全とはいきませんでした。しかも、その日はとても暑い日で、金栗さんはレースの途中で気を失ってしまったのです。レースの途中で気を失ってしまった金栗さんは、近くの民家に保護されました。目が覚めたときには、大会はすでに終わっており、「行方不明」とされてしまったのです。

時は流れ、金栗さんが76歳となったとき、ストックホルム大会55周年を記念する式典の委員会の人が金栗さんをゴールさせるために招待しました。

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大観衆の競技場を金栗さんが走り、テープを切ったとき、「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3.これをもって第5回ストックホルム大会の全日程を終了します」とアナウンスされたそうです。

また、金栗さんは「長いみちのりでした。この間に、妻をめとり、6人の子どもと10人の孫に恵まれました」とコメントし、会場は大きな感動の拍手と歓声に包まれたそうです。

先生は、ぜひ、みなさんにもたくさん体を動かして、たくさん遊んで、元気な体をつくってほしいと思うのです。今、体力に自信がない人もいるかもしれません。努力を続けることで、運動が得意になって、好きになるかもしれませんよ。

もしかしたら、このクラスの中から第2の金栗さんが出てくるかもしれませんね。

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