気持ち悪い自分…
少し前に、
『あぁ、依存していたな~』と自分でようやく自覚した。
全てが雁字搦めで、少々おかしい自分に失笑した。
というのも、常に突っ張って甘えられずに本音も言えず、自信もなくて、何かのために生きる目的を持てずに過ごすことのやんわりとした生きづらさと孤独をずっと抱えていて、
これと言ったなにかをあてにしなければ、
前に進む意味が見付けられなかったからだ、ということもわかっている。
仕事も退職経歴が続き、どこも円満とはいえず、かといって仕事はきちんとしたつもりだし、道を外れた訳でもない。
だけどそれを肯定してくれる人は居ない。
自分で自分をやんわり慰めて、見てみぬ振りをするだけ。
知り合いが最近退職したそうだ。
その際に労われたという文言を聞いて、
私にそんな言葉をかけてくれた人は殆ど居ないなと、また自尊心を無くしてしまった。
他人と喋ると得るものもあるが、失うものの方が自分にとっては大きい。
それを他人に気遣わせるのも申し訳ないので、勝手に1人で孤立していく。
そんな時、一人だけよしよしと頭を撫でてくれる人が居るだけで、一瞬は充たされる。
子供の私を慰めてくれる人。
小、中学生の時、テレビで幼い自分の願望を満たしてあげるために、中年の女性が子供にかえってカウンセラーさんを父に見立てて遊んで貰う映像を見た事がある。
幼心に大変嫌悪感を抱いたことを覚えている。
だけど今ならあの治療の大切さがひしひしと分かる。子供時代に与えられなかったこと、また受けた傷は大人に成ってからもずっと人格に影を落とす。
それらを受け止めてくれる人なんていうのはよっぽど出逢えないと思う。
自分の場合、全てが傷に直結してしまう程、そこいらに傷が多くありすぎるせいで、他人ともうまく交われない。
自分も他人も悪くないのだけど、本当に年齢を重ねれば重ねるほどにこれらを乗り越える力が無くなってきているなと痛感する。
なので、冒頭にあげた『依存の対象』に傾倒してしまった。
誰に迷惑をかけるわけでもないけど、省みた時に、ちょっと異常だったなと自分で自分が不愉快になった。
全ての事がその通りに成れば万事人は幸せなわけで。
それは宗教でも占い、スピリチュアル等全てにおいて言えること。
だけど人は弱い。
弱ってるときに『良くなる兆し』を与えれたら、1本5万円の水でも効くと思ってしまう弱い生き物。(私はそんな資金はないので買ってません。)
人は良いものだと思いたいけど、弱いものを食い物にする悪い人間も多く居て、
そういった人がのうのうと生きていて、弱い人は最悪死をも選んでしまう。
果たして生きることとはなんなのかな、と考えたりする。
理性で全て判断できるうちはいい。
おかしなものに惑わされない。可笑しいと分かってるから。
だけど、ずっと理性的で居られることは人間ではあり得ない。
本当に打ちひしがれた時なぞ、危険。
人が亡くなった家に宗教の勧誘が来るというのがいい例だと思う。
人生が一足飛びに飛躍するなんてことはあり得ない。
やったことの地続きでしかない。
甘い秘策もない。あっても教えるわけがない。
そうなり得る近道はあったとしても、そんなうまく行くはずがない。
努力していても全てが無駄に成ることだって大いにある、酷なのが人生。
尚更努力せずとも美味しい汁なぞ吸えるわけがない。
ただ、それだけ。
でも、そんな時でも新しい出会いはあったりするもので、一筋の細い細い希望となる。
個性があって素晴らしい、自分で誉められない人が日本人には数多くいます。それとと同時に自分の不快な気持ちも閉じ込めてしまう傾向も多く感じます。 私があなたの肯定感を高めるお手伝い、心の声を発掘するお手伝いをしたいと思います!!