見出し画像

suspended love(ヒッチコック『汚名』を観て)

ヒッチコックが好きだ。

イングリッド・バーグマンを愛している。

にもかかわらず、『汚名』という映画は自分にとってしっくりこないというか、取っつきづらい作品だった。

ドラマの中心である三角関係、男二人(ケイリー・グラントとクロード・レインズ)と女一人(イングリッド・バーグマン)の「腹芸」というか、感情を素直に吐露しない振る舞いをもどかしく感じた。
相手のそういう振る舞いの真意を時に正しく、時に誤って読んでしまい、時に分かった振りをし、時に分からない振りをする、その駆け引きに対してリテラシーがなく、うまく理解出来なかったのだろう。

しかし30過ぎた今になってやっと、この映画が「見れる」ようになった。三人の立場、心情、振る舞いが理解でき、共感できるようになってきた。長生きもしてみるものだ。

『汚名』は愛と義務の葛藤という古いテーマを描いた物語だ。
-ヒッチコック/トリュフォー『定本 映画術』p163

フランスのヌーヴェルヴァーグの映画作家トリュフォーとの対談で、ヒッチコックはこう語っている。

アメリカのエージェントであるケイリー・グラントは、任務のために愛するイングリッド・バーグマンを敵方のクロード・レインズのベッドに送らねばならない。
バーグマンは、任務遂行のためにレインズと寝て、結婚までせざるをえなくなる。

愛と義務の葛藤の中、二人はそれぞれに悩み苦しむ。

男は任務を告げる際、やるかどうかの判断をすべて女の意思に任せる。
「俺が彼女をアイツのところに送り込んだのではなく、彼女が自分で決めて行ったんだ」と、自分に言い訳したいかのように。
そして敵方の男と寝たという報告に傷つき、「信じたオレが馬鹿だった」と女をなじる。

女は自分からは任務を断ることが出来ず、庇ってくれなかった男に失望する。それでも愛しているから任務を遂行するが、任務に忠実なあまりに敵方の男と関係を持つ。慰めを期待して男に報告するが、男は褒めも慰めもせず、女に失望する。

愛しているなら女を引き止めればいいのに。
愛しているなら男の元に留まればいいのに。
相手もそれを、本心では望んでいるのだから。

最初にこの映画を見た20代前半は、そんなことを思ってしまって、なかなかこの作品に入り込むことが出来なかった。

だが年を重ねて、何度も失恋をした今、二人の微妙な恋心の機微みたいなものが、分かってきたように思う。
子供みたいに自分の思いだけを叫びあげることも、成熟した大人として相手を受け止めることも出来ない、青年の愛の悩み。

そして、恋愛という「私」と、義務という「公」のどちらかを選ばねばならない葛藤。
二人が本当に「プロ」として、ビジネスだと割り切って敵方と寝る(敵方に送り込む)ならば起きないはずの、しかしそれが不可能だからこそ生じる葛藤。

少し大人になった今なら、こういうことを少しは理解できる気がしている。

ここ2、3年、仲良くしてくれる女の子がいる。
昔母親が着ていた、少しレトロなデザインの服を着ている時があって、たまにイングリッド・バーグマンに似ていると思うことがある。

僕のバーグマンにとって僕はグラントなのか、レインズなのか、ふと考えてしまった。
今度両親に会わせることになりそうなのだが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?