黒森峰より愛をこめて(逸見エリカ生誕記念 06.03.2019) ⑫

第十二章 第三の女

「Seien Sie ruhig, meine liebe Doktorin!」

得意気に話すまほとポカンとしているエリカの間に、ヨアンナがコーヒーを持って割って入る。

「Nehmen Sie mal eine Kaffee und dann halten Sie
vielleicht Ihre großartige Vorlesung auf JAPANISCH, bitte?」

「!
 すまないエリカ、日本語で話そう」

そう、まほは「講義」の途中からドイツ語にスイッチしていたのだ!
酔っ払うとそうなるらしい。

「すまんなエリカ、最近日本語で話すことが少なくて、それにこのテーマでレポートを書いたばかりだったから、口をついて出てしまった。
酔っているわけではないんだ、信じてほしい」

「人は失敗する生き物だからね。
 大切なのは、そこから何かを学ぶってことさ」

「講義」を終え、ウイスキーたっぷりのアイリッシュコーヒーをすすって人心地をつけながら弁明するまほに、カンテレ弾きが話しかける。さっきまで店の中央にいたが、いつの間にか隣の小さなテーブルにまで近づいてきていた。

「あなたまでフィンランド語でしゃべりださなくてよかったわ、ミカさん」
「本当に大切なことは何語でも語れるし、何語でも語れないものだよ」

エリカに返しながら、ミカは静かにカンテレを弾き始めた。

「そういうあんたは、何かを学んだのかい?
『黒乗り(無賃乗車)』がバレて罰金払わされたり、その時慌てて列車に鞄を置き忘れたりしてさ」

ミカのテーブルにコーヒーを置きにきたヨアンナは、先ほどアキから仕入れたばかりのネタをさりげなく披露する。

「長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく…」
「口ずさめる一つの歌さ、でしょ? ミカったらいつも同じこと言って」

そう言ってヨアンナからコーヒーを受け取り、アキはミカの向かいの椅子に座る。
言われ慣れているのか、涼しい顔で演奏を続けるミカ。

「スナフキンですね」

ブランデー入りのオレンジペコを啜りながらエリカが呟く。

「さすがだなエリカ。継続でもグロリアーナでも通用しそうだ」
「…やっぱり、酔ってますか?」

独り言のようにささやいたまほに、エリカは顔を合わせずそっと言った。
返事をする、というよりはつい口に出してしまった、というのが近いかもしれない。

「先程の話の続きだが、今後の黒森峰には『黒森峰らしくない』何かが必要なんだ。『西住流らしくない』何か、と言い換えてもいい。だから…」
「私は、いらないと?」

不意に、そう口走ってしまった。
何故そんなことを今言ってしまったか、自分でもわからない。
だが、漏れた言葉そのものは、以前から胸の奥でわだかまっていたことだった。

「そうじゃないよ。むしろ逆だ。
『西住流じゃない』発想ができるエリカみたいな隊員が、これからの黒森峰には…」
「隊長が本当に求めているのは!」

ティーカップをテーブルに叩きつける音に、店中が注目した。
ミカは演奏の手を止め、目を強く閉じている。
向かいの席に座っていたアキと、相手をしていたヨアンナは話をやめてエリカのほうを見る。
アキは驚いて目を丸くして。
ヨアンナは睨むというよりはたしなめるように強い視線で。
サウナから戻ったばかりのミッコは急にこのシーンに出くわして、立ち尽くしていた。

「みほ、じゃないですか!」

涙を流しながら叫ぶ自分を見つけて驚いたのは、誰よりもエリカ自身だった。
彼女も随分、酔っていたのかもしれない。

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