人にやさしく
夕食時、娘ミルコ(中1)が習い事でのことを話していた。
「Aくんがさ、『人にやさしく自分に厳しくだよ』って言ったんだ。」
それを聞いた私は
(ほほう、Aくんなかなか立派なことを言うではないか)
と思いながら、もぐついておった。
事の顛末は、
①習い事の最中にBくん(中1)が、小学校低学年の子たちにちょっかいをかけられた
②Bくんが気を悪くして、その子たちに何か軽くやり返した
③それを見たAくん(小6)がBくんに、人にやさしくしなきゃいけないと言った
ということらしい。
「小学校の卒業文集にもさ~、『人にやさしく自分に厳しく』って書いてた先生がいたけど、それってどうかな…って思ったんだ。自分にやさしく出来なきゃ、人にも優しくできないよ。」
というミルコに、夫が
「そうなんだよな、そういうこと言う人は結局人に厳しいことを言ってるんだよな。」
うむ、二人ともよくぞそこに気が付いた! 前々からワシもそう思っておったのじゃ。ワシはもぐもぐしておったから言えなかったが、よく言うた。あっぱれじゃ! やっぱりモノはよく噛んで食べないとな。
まったくワシもその通りに実践しておったので、むかし妹に
「あんたは人に厳しく自分に甘い!」
と怒られたぞよ。わっはっは!
って高笑いしてる場合じゃないだろう。
そうなのだ。自分にやさしくできない人は、我慢するのが当たり前になって、そのうちそそれを他人にも求めるようになるのだ。だってそれが「当たり前」だから。なぜこんな当たり前のことができない?と考えるようになるのである。過去の私のように。ん?そんなの私だけか?
私たいがいの頑張り屋さんだったからなあ。いろいろな面で強いタイプだったから、周りをなぎ倒し、自分の体を酷使し、しまいにはぶっ倒れてしまうことも今となっては懐かしい日々じゃのう…って、迷惑だっつーの。
「自分に厳しく」って悪いことじゃないけど、それを続けてると自分を大切にするってことがどういうことなのか、見失いがちになる。少なくとも私はそうだったなぁ。
これは今の学校教育の中で、いい子ちゃんだった私が身につけてしまった、悲しいサガである。
学校の中で大人に、「人にやさしく自分に厳しく」なんてことを強制されたら、
「自分が進んでやりたいわけじゃないけど、そうしなきゃいけないみたいだし、いいことではあるし、でもやりたくないけど仕方ないかあ」
って思いがちだ。んで私はそれを積極的に取り入れるほうだった。
そこまでは別にいいんだけど、そうやってるうちにクラスにそうしてない子がいたら、腹が立つようになってくるんだ、これが。
でもどの部分で自分に厳しくしてて、人にやさしくするかは人それぞれだから、私とほかの子の厳しさポイントが、重なっているとは限らない。
したがって級友同士別のところで、なんでコイツこれ頑張らないの? え、コイツなんでここで急に厳しいこと言ってくるの? ってなりがちなんだよね~。
私が妹に言われたようなことも、そういうことだっただろう。妹はこれを読んで反省するように。ワシはお前さんの見えないところで、血のにじむような厳しさでもって努力しておったのじゃー! …だから迷惑だっつーの。
まあAくんが学校でそういう指導を受けているかどうかは知らないんだが、広く学校ってものの中には、卒業文集に書くくらいそれを大事に考えてる先生もいらっしゃるのだろう。
自分の中に持っているぶんには大変いいことだと思うが、学校で押し付けられるような感じだったらちょっとね。
そのへん、子どもにやさしく自分に厳しくでお願いしたいところである。
しかし私もたいがい年を取って、そんな学校教育のくびきからずいぶんと自由になったようだ。負うた子に教えられとはこのことか。って最早おんぶするにはだいぶ大きいのだが、とりあえずホームスクーリングをやってきてよかったと思う出来事であった。
ミルコも大人の言うことを素直に受け入れるタイプだったから、学校に行ってたら、こんなこと言うようになってなかっただろうしな。
今後は、こうやって子どもに教えられることのほうが多いかもなーとも考える。わたくしおたんこナスだからな。
この先こういうことがますます増えていくことだろうと思うと、気が楽になるばかりである。
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