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「不登校は親の責任」??

オンライン署名 · 東近江市長に不登校に関する発言の撤回及び不登校関係者との協議を求めます! · Change.org


 この東近江市の小椋さんって市長さんの発言、全文が分からなくて、いちばん詳しく載っているのがこの署名の文章なので、もしかしたら公平性を欠くかもしれないのですが、ほかに見当たらないのでこれに基づいて考えてみました。

 小椋市長「憲法が規定している国民の義務の大きな一つが教育を受けさせる義務なんですよね。で、一方の大半の善良な市民は本当にいやがる子どもを無理して無理して学校という枠内に押し込んででも学校教育に基づく義務教育を受けさそうとしてるんです。」
→ まず国民の義務が教育を受けさせる義務だという点、これはとても誤解を生みがちな言いかたで、確かに国民(=大人の側)に教育を受けさせる義務はある。
 でもこれは戦後、学校に行かせずに働かせようとする親から子どもを守るためにつくられたもので、子どもの教育の権利を守るための大人の義務なのです。そう、子どもにとって教育は義務ではなく、権利です。子どもにとって教育は義務でなく権利。大事なことなので二回言いました。なんならアンダーラインも引いてほしい。

 しかしここでは「いやがる子どもを無理して無理して学校という枠内に押し込んででも義務教育を受けさせようとしている」ことが良いことであるかのように言われており、
 ここには子どもの側からの<教育を受ける権利>という視点が全くありません。子ども自身が自分にあった教育を選ぶ、子ども自身が権利の主体であるという視点です。

 子どもを大切に思い、子どもの権利を知り(あるいは何となくでもそういうことを感じ取って)、子どもの気持ちを大切にしようとするからこそ葛藤し、不登校を選択している真の善良な市民や親が、「不登校は大半は親の責任」だと誤った認識で非難されているのは問題だと思います。
 不登校は、だらしなくてちゃんとしてない子どもの問題でも、甘やかして子どもをダメにする親の問題でもないのです。

 本当の問題は、今の学校教育があまりにも画一的で選ぶ余地がほとんどなく、行っている学校に合わなかった子どもがいける場所が実質フリースクールしかない(幼稚園のようにもっといろいろな形の学校が地域にあっていい)ことだと思います。

 さらにその一つしかない形の学校教育が、「本当にいやがる子どもを無理して無理して学校という枠内に押し込んで」いかないと成り立たなくなっているという点が最も大きな問題なのであり、その学校教育をより良いものにしていくことが、市長としての役割なのではないでしょうか。

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