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他者への依存と多幸感

私は人間関係を上手に構築するのが苦手だ。
いつも誰かしら「友達」と呼ぶ人はいるけれど、
みんなある程度時間が経つと居なくなる。
渋谷のスクランブル交差点のど真ん中に立っている私の横をどんどん人が通り過ぎるように、私の周りにいる人も目まぐるしく変わる。
いわゆる「ズッ友」「親友」というものに無縁な人生。

それはコンプレックスでもあった。
幼なじみとのエピソードや、昔からの親友の話をしてくる人達に対して羨ましいと心から思った。

なぜ、私はそういう存在を手に入れられず、また、誰にとってもそういう存在になれないのか考えた。

まず私はとても単純で、それでいて考え過ぎる。

基本的に性善説で生きてきたのですぐに信じてしまう。そして同情する。その人に役立ちたいと願う。その人に尽くしたいと思う。
「あなたのおかげだよ」という言葉が欲しくて。

例えば相手が最近風邪気味だと話していたな、と思うと次会う時にのど飴をあげる。
暑い日にバイト上がりのその人のために制汗スプレーや汗ふきシート、塩飴、飲み物など買っておく。
嬉しい顔が見たくて。

男女問わず、私にとって大切な人と判断したらひたすらその人から必要とされたいと思ってしまう。

先日、幸福物質オキシトシンの発生要因をたまたまネットで見た。
カップルであればスキンシップをすること、
友達であれば、その人を思ってプレゼントをすることでも幸福物質は発生するらしい。

私は「大切な人が喜ぶのが見たい」といいながら
結局は相手に依存し、勝手に自分で幸せを感じていただけだったのかもしれない、と思った。

そしてもう1つ私の良くないところは、
相手を勝手にどんどん理想化してしまうところ。
いい所ばかりを見て、悪い所は見なかった振りをする。
普通の人はいい所も悪い所も含めて相手を全て受け止めて友達という関係性を築いている。

私は悪い所を見ないように見ないようにして逃げ続け、それでも決定的に逃げられなくなった時一気に相手に失望する。
私のなかで大切だった人は、消えてしまう。
どう接したらいいのかも分からなくなる。
混乱し、逃げてしまう。

そんなことを繰り返しているから、安定した人間関係という物が築けない。

自分自身で変えたいと思っても、変えることが出来ない。
どうしたらいいのか分からない。

「ともだちがほしい」
ただそれだけなのに。

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