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私と中国語

こんにちは、あめです。

中国語に対して、私は複雑な感情を抱きながら大きくなった。この記事を読んでいるほとんどの方がご存じだと思うが、私は中国人の母、日本人の父を持つハーフである。しかし日本で育ち、家庭内言語は日本語であり、したがって、中国語は話せないまま大人になった。しかし、『ハーフです。しかし中国語は話せません』というと、80%以上の確率で『どうして話せないの?』と言われた。時には『もったいない』とも言われる。そんなこと、私自身も重々承知している。
多文化で育つ絶好のチャンスだったのに、うまく生かしきれなかったのは、今でももったいないと感じる。しかし、詳しいことは省くが幼少期の家庭環境は波乱に満ちており、とても理想的なものとはいえず、バイリンガル教育にコミットできるような状況では到底なかったのである。

学校に通うようになってからは、『どうして話せないの?』といわれるのが嫌なあまり、自分の出自を隠すようになった。それだけではなく、ハーフなのに中国語が話せない自分に対して嫌気がさし、中国語、中国文化、あげくの果てには母まで、『中国を連想させるもの』全般から距離を置くようになった。その代わりに興味を持ったのが英語だった。当初、英語学習は、『国際的な環境に育つことを期待されていたのに、バイリンガルではない自分』という、幼いころから抱えていた劣等感を打破する手段だった。
英語をちょっと話すと、みんなの目が一気に尊敬のまなざしに変わり、『すごーい!』と大称賛を受ける。ド田舎の公立中学なんてそんなものである。
中学生ごろまではそれが快感で、大きなモチベーションの1つだった。

そのまま英語を勉強し続けて、大学生になった。ここで環境が大きな変化を経験する。国際的な校風を持つ大学だったので、バイリンガル・トリリンガルは決して珍しくなかった。英語を流ちょうに話せるのは当たり前。オールイングリッシュで授業を受けるのも当たり前。滞在歴5年以上の帰国子女、高校での海外留学経験者、インターナショナルスクール出身者もごまんといた。
英検準1級に合格しただけで神童扱いを受けるような田舎高校から出てきた私は、彼らの語学力に高さに対して文字通り衝撃を受けた。大学1年の春学期は、彼らの努力に裏打ちされた自信満々な態度や話し方を前にして、ひどい劣等感を抱いてしまった。恥ずかしながら、彼らをちょっぴり避けていた時期もある。しかし、屈折した気持ちを抱えながらも接するうちに、彼らの多くが自分の出自や育った環境に対して誇りを持っていることが感じられた。その姿勢に対して感銘を受け、徐々に自分のバックグラウンドに対して自信を持つことの重要性を学んだ。それが中国語学習を始めたきっかけだった。

なぜか第二外国語は中国語ではなく、イタリア語だったのだけど(これに関しては後悔していない)、独学で勉強を始めた。当初母には頼らず、一人で勉強を進めるのは不安でいっぱいだったが、それでも2年生の終わりごろから本格的にHSKを受け始めた。4年生では中国語中級の授業を履修し、大学が提供していた中検の集中講座も受け、中検3級とHSK4級に合格した。全くのゼロから、『第二外国語として選択したの?まあまあ頑張ったね』ぐらいのレベルでご卒業である。めでたい。

大学院生になってからイギリスに来てからは、中国人の友達がたくさんできた。彼らは優しいので、私が片言の中国語を話しただけで喜んでくれる。アイスクリームを指さして『冰淇淋』といっただけで感動してくれる。それは赤ちゃんが言葉を発した時に生まれる感動と同質なので、ちょっと恥ずかしいけど、でも、うれしい。
英国留学中は授業とコースワークで忙しくてあまり中国語を勉強できなかったが、先生に添削をお願いして発音練習を続けている。帰国したらHSKK初級とHSK5級に挑戦してみようと思っている。イギリスでできた友人たちから『しばらく会わないうちにこんなに上手になったの!?』と驚いてもらえるように、コツコツ頑張りたい次第である。

それでは!




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