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降臨する、キャリーケースの勇者たち

朝10時、昼13時。
今日も病棟のエレベーターを上がり、静かに勇者はやってくる。キャリーケースを引いて。入院のため新参者が訪れる時間だ。
私も4日前にここを訪れた勇者の1人だった。

みな、キャリーケースには、これから迎える非日常な日々に備えた装備を、思い巡らし詰め込んできただろう。着替え、下着、タオル、ディッシュボックス、コップ、歯磨きブラシ。人によっては、ひとときの休息と考えてお茶道具を一式、また別の人は普段では挫折しそうな重厚な書籍を持ち込み、次へとつながる時間に充てる考えもあるだろう。この時間を闘いと考えるのか、休息と考えるのか、それはさまざまだ。

今日から参戦した新たな勇者には、あえて無言のエールを贈りたい。
この先に待っている道は、思ったよりも険しいことを経験した者は知っている。事前に伝え聞く情報では感じ得なかった苦しい経験は少なからずある。
手術の内容は聞いていたし、術後の経過も順を追ってもちろん聞いていた。しかし、私の場合、手術直後、その当日の辛さは想像が及んでいなかった。

私の手術は、甲状腺に見つかったがんと悪性の疑いのポリープのため、甲状腺全摘と周囲のリンパの切除だった。術後、傷口のある首をしばらく固定する必要があった。術後に心配していた、声の不調もなく(声帯の神経を触るので声が出なくなる不安があった)、頭も冴えているし、体も十分に動く体力も気力もあるのに、ベッドから動けない指示だった。口には酸素マスク、膀胱には直接カテーテル、左腕には点滴、傷口からの血液や体液を受ける排液用のドレーン、足元は血栓防止の着圧靴下と圧を交互におくり続けるマッサージ機。入院2日目にして、SF映画で捕獲されたエイリアンような装置に包まれていた。
少しの寝返りもできず、天井と横目に見るテレビ画面だけの世界。イヤホン越しのテレビでは線状降水帯による豪雨被害にあった家族や救助する人たちの映像が流れている。悲惨なニュースを見ていると、今の私には何もできないのが苦しい(いや普段の私でも何もできなかったのだが)。
Spotifyでラジオを聞いても、健全な日常生活の話題、人間関係の話題を穏やかに、時に楽しげに語る人たちの会話、これも耐えられなかった。
「思いを行動に起こすことができる」それが自由だとしたら、奪われて初めてその辛さを知る。寒くも暑くもないのにカタカタと私の体は小さく震えていた。

看護婦の方々は手術直後は1時間おき、その後4時間おきにきてくれた。血圧、体温、酸素飽和度を測り、点滴や冷却の装備を交換し、水が飲めずに気持ち悪い口の中を湿らせた綿棒で拭う。もちろん看護、治療のためだが、その際に少しだけでも言葉を交わすことが、今すぐに開放されたくて、獣のように暴れてしまいそうな、その少し手前で平常な意識を維持することに役立った。
人と人が少しの言葉を交わすだけで、こんな効力を持つならば、普段から周囲の人には小さなひとことで良いから声をかけるべきだ。入院中、ある若い芸能人の自死の知らせを聞いて、心から思った。

幸いに、私の辛い時間は、手術翌日の朝6時に終わった。「どうしてもトイレに行きたい(大の方で)」と懇願したところ、自立歩行練習の時間を少し前倒してくれたようだ。意思ある限り、黙っていないで主張はしてみるものである(9時ごろが自立歩行の練習開始予定だった、3時間の時短!)。そして朝から水分も取れるようになり、昼からは五分粥の食事もスタートした。

辛い体験は永遠のように感じられるが、いざ終わってしまうとなぜか短く、まるで白昼夢のようにすら思える。きっと人生の中での辛い体験も、振り返れば同様に時間の間隔は少々バグるように思う(振り返れば一瞬の出来事だ)。

病棟の通路を歩くと、他の病室にはずっと寝たまま、食事も介添が必要な老紳士もいるようだ。未だ前線にいる老紳士の勇者は、日々何を思い過ごしているだろう。その境地には自分は程遠い若輩者である。

多くの場合、入院、その翌日には手術、そして術後の回復期を数日過ごし、勇者は去っていく。
同室の女性が、今朝退院して行った。キャリーケースを引いて、前線を去る後ろ姿は少し神々しい。私はやはり無言のエールで送り出していた。
よくやり遂げた!万歳!万歳!万歳!

入院するもの同士、名前も知らぬ関係だが、無言のエールが病棟には飛び交っているように感じる。これは病との闘いなのか、人生のプロセスなのか。私は無言でエールを送り合いたい。

術後の最初の食事(五分粥)

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