毒親育ちの私が、「ひとり旅が出来る女」になるまで。
はじめてひとり旅をしたのは、22歳の時だった。
我ながら、ずいぶんと遅い“ひとり旅デビュー”だと思わずにはいられない。
行きたい場所は、たくさんあった。
歴史が好きな私にとって、誰かのゆかりの場所を訪ねることは積年の夢だったからだ。
けれど旅ができることは、私にとって、決して当たり前ではない。
行きたいときに、行きたい場所に行けること。
思い立って、ふらりと旅に出られること。
生まれた時から、“毒親”である祖母の下で育った私にとって、
それはただ、途方もなく贅沢なことだった。
毒親と言うと、典型的なDV家庭をイメージする方もいるかもしれないが、私は顔に青あざをつけられるといった、あからさまな暴力を振るわれて育ったわけでは無い。
常にチクチクする言葉で傷つけられ、圧力をかけられ、期待に背けば見棄てるというサインを発し続け、自己肯定感を根こそぎ奪い取るという形の恐るべき「支配」…つまり、精神的DVである。
例えば高校を卒業するまで、私は帰る電車の時刻、乗り換えの時刻まで事細かに指定され、一本でも遅れたら連絡を入れねばならなかった。当然、ひとりで遠くに出かけたことさえなかった。
大学に入っても、勝手な行動をしないようにと、パスポートや運転免許証を没収された。
夜に連絡をしないと、飲み会や遊びに行っているのではないかと電話がかかってくる。スケジュール帳を勝手に見られたことも一度や二度ではない。
逆らえないのか?
抵抗しないのか?
これを言葉で説明するのは難しい。
ほんとうに恐怖で縛られている人間は、理不尽だと自覚していても、その呪縛を簡単に解くことができない。
「お前はひとりでは何もできない」そんな自己否定の言葉を、幼い頃から呪いのように刷り込まれて来た人間にとって、一人旅は途方もない壁だった。
歴史が大好きな私には、幼い頃からずっと、行きたい場所がたくさんあった。
国内なら、北は函館から南は熊本まで。
海外なら、イタリアにフランスに中国…。
それでも、あらゆる身分証とパスポートを奪われ、印鑑から口座まで管理されていた私にとって、祖母の束縛と干渉の眼を盗んで旅行に行くのは至難の業だった。
離れて暮らしていても、私が海外旅行をするとなれば、妨害のために急に下宿に押しかけて来るだろう。
体やお金だけではない、恐怖という見えない鎖に縛られて、私は長いこと苦しんでいた。
ようやく祖母を「捨てる」決断が下せたのは22歳の冬。
それまで私は、自分がどんなに傷つけられても彼女を家族だと思っていた。けれど彼女が、自分以外の家族を、私の大切な親を傷つけている姿だけは許せなかったからだ。
私は祖母を、肉親だと思わないことにした。でなければ、私の心が先に壊れてしまうと思ったからだ。
その時私は、人生ではじめてひとり旅をした。
京都から広島、福岡、そして熊本へ。一週間近い旅だった。
はじめてひとりで旅をした時に、あのひりひりするような不安感と高揚感は、いまでも忘れられない。
あれから私は、一度も実家に足を踏み入れていない。
経済的にしんどくとも、二度と祖母の顔を見たくない。その意地だけでやってきた。
いま、大人になったわたしは。
お金と時間さえあれば、行きたい場所に行ける。
思い立ってホテルを予約して、ふらりと旅に出ることが出来る。
ここまでくるのに、いったい何年かかったのだろう。
他人より何歩も歩みが遅いこと、自分のしたいことをことごとく妨害され続けることに、悔しくて悔しくて、何度泣いたことだろう。
それでも私は。やっと、やっと一人でここまで来た。
正直、不特定多数の人が見るnoteに、顔出しでこんなことを書くのは少し怖くもあった。
こんなことを書いたら、私を知る人たちに引かれるのではないかとも恐れた。
けれど思い直したのだ、ちっぽけな私には、これ以上失うものさえ無いのだと。
そして何より、もしかしたら、同じ境遇に苦しんだことのある人に、この言葉が届くかもしれないということに、すこしだけ希望を持った。
これから私がはじめる、「歴史さんぽ」という連載は、傍目にはただの歴史好きの旅行記に見えるかもしれない。
けれど知って欲しい。
その背後には、「旅に出ること」さえ難しかった私の、苦しい戦いの日々がある。
自分が自由だと確かめるために。
今日も私は地図を片手に、次の旅先を考えている。
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