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フルマラソンに挑戦した夫婦の戦い。意外な結末にきっと驚くだろう。

20代最後の思い出に、やってみたかったことがある。

それはフルマラソンに出ること

夫婦で沖縄に旅行したときに、地元の友人たちにこの話をしたところ
「俺たち毎年出てるから一緒に走ろうよ」と誘われた。

酒飲みの男だらけの集団の中に毎年フルマラソンを走っている人たちがいるだなんて、ものすごく意外だった。

ちょっとした出来心で話したこの話題で場は大きく盛り上がった。

後に引けない状況になり、ほろ酔いも手伝ってそんな夢など持ってもいなかった夫までもが巻き込まれる形でその翌年の『おきなわマラソン』に出るという約束がその夜成立した。


迎えた当日。

沖縄在住の友人2人と合流し4人で『おきなわマラソン』のスタート地点に立った。

沖縄本島の中部地域を駆け抜ける『おきなわマラソン』は高低差100メートル超の厳しいコースだ。

42.195キロの長く険しい道のりを夫と走る。

毎年旅行に来て眺めている道をただひたすら走る。

綺麗な海に感動することもなく・・・コンクリートの上をただひたすらと。

歩くのも嫌なほどの急な登り坂を42.195キロの道のりのなかに何度も入れてくるこの沖縄マラソン。

誰だよこんなコース考えたのは‼ そんな怒りすら湧いてくる。

もともとスポーツをしていた訳でも無く、なんなら帰宅部でバイトばかりしていた高校時代。

学校のマラソン大会では建物の陰に隠れ1周ごまかすという悪事を働いていた私(最低)

無謀な挑戦だった。

まだ中間地点にも着いていないのに、明らかにしんどそうな夫・・・

私はこの人を横にしてこの先、長い道のりを走り切れるのだろうか。

しんどそうな夫を見ているのが嫌だった。

人と歩幅を合わせて走ることにもストレスを感じていた。

夫に聞いてみると「先に行って」という事だったので置いて行くことにした。

後日夫から聞いた話だが、夫を置いて走り去る私は、風のように早かったとか・・・

1人になると途端に気楽になった。

しんどければ止まればいい。

元気が出たら走ればいい。

歩いたり走ったり、沿道で出してくれるフルーツや黒糖などを堪能しつつ長い道のりを走った。

エイサーや琉舞で盛り上げてくれる人たちの温かさが心にしみた。

少しだけ海の青さに感動したりもした。

途中、一緒に参加したメンバー1人の脱落が伝えられたが夫の脱落情報はなかった。

あれだけ辛そうだったし、完走は無理かな・・・そんな事を思っていた。


物凄く辛かったけれど、意地と根性でなんとか無事にゴール。

応援に来てくれていた友達の多くが、私が夫より早くゴールしたことに驚いていた。

私に遅れること約25分、夫も制限時間内に無事にゴールすることができた。

私と夫の総合順位の差は1240番だった。


夜に開かれた飲み会では『風のように走り去った妻に置いて行かれた夫』の話題で大いに盛り上がり、負けた夫が随分と弄られていた。

翌日、ロボットのような歩き方の人たちを数名見かけた。

声をかけると、みな沖縄マラソンに出た人たちだった。

夫もロボット化していたが、なぜだか私は意外と平気だった。


その翌年、何故か私たちはまた『おきなわマラソン』のスタート地点に立っていた。

高い旅費を払い辛い道のりを走る。

道中「何故私はこんなことをしているのか」と毎年自問自答するのだが、何故か私は走っている。

2回目のフルマラソンは最初から夫とは別に走った。

やはり私の方が早かった。

1人淡々と走っていると、ゴールまであと10キロ程のところで夫が追いついてきた。

そこからは一緒にトイレに行ったり、もの凄いテンションで応援してくれるアメリカ人がいる基地の中をハイタッチしながら進んだ。

やはり一緒に走れる人がいるのは良いものだ。

今年こそは二人でゴール出来る。

そんな幸せな気持ちで走っていた。

ゴールまで5キロをきった辺りで足にアイシングスプレーをかけてもらっていると、信じられない事が起こった。

いないのだ。夫がそこにいないのだ。

前を見ると風のように走り去る後ろ姿。

逃げられた・・・そんな事ありますか⁇

夫婦手を取り合ってゴールするまであと5キロなのに・・・

あまりにも酷い仕打ちに、これまでにないスピードで夫を追いかけた。

既に37キロを走った身体とは思えないほどに必死に走った。

たくさんの人を抜かしたが、結局夫に追いつくことはできなかった。

その時イヤホンから流れていた奥田民生の『イージューライダー』を聞くたびにあの時の事を思い出す。

民生さん・・・幅広い心も、軽く笑えるユーモアもその時の私は失っていましたよ。

ゴールしてメダルをもらって、しばらく人の流れに沿って歩いていると、炭酸飲料を飲みながら夫が現れた。

どうやら最初からおいていく計画を立てていたらしい。

ギリギリまで歩幅を合わせておいて、何とか走り切れるギリギリでおいていく・・・それしか勝つ方法はない。

驚愕の計画が立てられていた。

夫と私のタイム差は僅か1分16秒で、総合順位の差は59番だった。


その夜開かれた飲み会では、やはり夫が大いに弄られていた。

『妻を裏切った旦那』のエピソードを見聞きした人たちから

「勝負には勝ったけれど人として最悪」「人間のクズ」散々な言われようだった。

自業自得だ。


そこから真面目に走り始めた夫はみるみる早くなり、翌年もその次の年も私が夫に勝つことはなかった。

NAHAマラソンや、伊平屋ムーンライトマラソン、名護ハーフマラソン。

仲間と一緒に色んな大会に出たが、いつも夫が勝利した。


子供が産まれてからマラソンを走ることは無くなったけれど、時々私は夫と戦う。

ゲームセンターのカーレースや、カラオケでは殆ど負けたことは無い。

先日、子供たちを交え本気で鬼ごっこをしたがそこでは完敗だった。

トランプでも大体負ける。

大人気ない夫と私の熾烈な戦いを子供たちは冷ややかな目で見ている。


あの時、私を大いに裏切った夫との結婚生活は16年目を迎えた。

大した会話もないけれど、それぞれ別の趣味や推しをもちながら並走して歩いている。


あの時のメンバーにもそれぞれ家族ができ、コロナ禍で集まることもない。

あの時は本当に楽しかった。

またあの時のメンバーと居酒屋で、夫とのクズ話で盛り上がれる。

そんな時代が訪れますように。

#創作大賞2023
#エッセイ部門










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