見出し画像

2002年の日韓W杯を違う角度から体感した女のはなし

バスケ&ラグビー
ダブルワールドカップ!
これから大いに盛り上がりそうだ。

とくにバスケットボールは開催地が沖縄!
という事で超身近。


この地にワールドカップが来るならば、是非とも日本を現地で応援したい!
なんて思っていた私ですが毎度チケットは即完売。

それならば別の国でも!
と調べてみても見たい国の試合も完売…

チケットのお値段ももちろんお安くはないし家族4人でと考えると…なかなか手が出ない。

どこの試合でもいいから買って行く!
という心情にはなれない金に糸も目もビッシリついている最低賃金の土地で細々と暮らす私達…

色んな人に聞いているがまだ地元でチケットを取ったという人には出会っていない。
(わたしの周りにいないだけかもしれないが…)

W杯というものを体感できるチャンスはそれ程までに貴重なのか…

やはり行くべきなのか…などと考えていると思い出した出来事がある。

取り留めもない話ではあるが思い出したついでにnoteに記しておこうと思う。

2002年の日韓ワールドカップ。
これは当時そのワールドカップを違う角度から体感したおんなの話である。

日本と韓国、同時開催だったこのワールドカップのとき日本はどんな感じだったのだろうか。

サッカーというメジャーなスポーツでありチケットを取りたいけれど取れなかったなどという声を聞いたような気もする。


一方のわたしはその時ヨーロッパに向かっていた。

W杯の厳戒態勢のなか駅のホームのゴミ箱の入り口がぐるぐると閉ざされる、そんな光景を見ながら1人空港へ向かった事を思い出した。

ニュースでは連日ワールドカップの話題が流れてフーリガンという何やら怖そうな熱狂的なサッカーファンの事などが取り上げられていた。

うろ覚えだが…私の乗る飛行機にはフーリガンが乗っているという情報があった。

乗り継ぎする為に訪れた空港のテレビではワールドカップの試合が流れ人が殺到していたが、わたしはこの人達が急に暴れ出したりしないかドキドキしながら遠目でそれを見ていた。

無事にたどり着いたのはフランスのシャルルドゴール空港。
当時フランス留学中だった友人とそこで合流した。

空港に着くなり大笑いをする友人。
どうやらわたしの着ていたTシャツにはシャルルドゴール空港というロゴが入っていたらしい。

なんとなくヨーロピアンなTシャツと思っていたが、まさかそんな奇跡が起こっているとは知らず

「関空に関空!ってTシャツ来てくるみたいな感じだよ!めっちゃお上りさんみたい」

などと馬鹿にされ、その後そのTシャツはヨーロッパを出るまでスーツケースの中で眠っていた。

私たちは約1か月の休暇をとりフランスから当てもなくヨーロッパをブラブラしようという計画をしていた。

その旅の最中に立ち寄ったのがイタリアだ。
わたしはイタリアが大好きだった。
ある日テレビでイタリアの美しい景色を見た時、ものすごく懐かしい気持ちになった。

その時わたしの前世はイタリア人だと確信したのだ。

今世では全くホリのないノッペリとした顔をしているが、きっと前世はイタリア人だと思う。

そんな事をすっかり忘れていたのだが『だが情熱はある』というドラマで南海キャンディーズの山里亮太さんがイタリア人という名前でピン芸人として活動したと聞いた時に思い出した。

私はノッペリしている。
だが、きっとイタリア人である。

スポーツの知識はほぼ無い私だがイタリアがサッカー大国でめっちゃ強いという事は何となく知っていた。

イタリア後は話せないが

「トッティ!トッティ!」

などと言っていれば当時のイタリアの人たちはまるで旧友のように盛り上がってくれた。

駅にある大型テレビの前にたくさんの人が集まりサッカーを応援している。

テレビの中に映る日本人はなんだかとても素朴で小さくて、世界から見る日本人ってこんな感じなんだな…と思った。

そんなほのぼのとした日々を一変させる出来事があった。

私は確かその日はミラノにいた。

その日はイタリアと韓国の試合が行われる為、暴動に巻き込まれないように私たちはできるだけサッカーの試合とは関わらないように注意を払っていた。

夜になり試合も終わった頃、お腹が空いたので友人とレストランに食事に行こうという事になったのだが、外にいたレストランの呼び込みの人が「ダメダメ」と何やら入店拒否をしてくるのである。

私たちが不思議そうな顔をしていると
「コリア?」
と聞かれたので私は
「ジャパニーズ」
と答える。すると急に人が変わったように
「どうぞ、どうぞ」
と店の中に入れてくれた。

不可解に思っていたけれど美味しい料理に囲まれて空腹を満たしすっかり満足していた。

そのレストランの天井には小さなテレビがぶら下がっていてそこでもワールドカップの様子が流れていた。

だけど何だか様子がおかしい。
画面に映し出されたのは

Lacrimeという単語とAzzurriという単語。
持っていた辞書で調べてみると

Lacrimeは涙
Azzurriはイタリア代表

イタリアの涙???
え??

そうです。
私たちはそこで初めて韓国の勝利を知ったのです。

今思えば試合結果ぐらい調べとけよ!
って思うけれどにイタリアが勝つものだと思っていたあの時のわたし(ごめんなさい)

ここはイタリアの都市のど真ん中。

歩いていて熱狂なサッカーファンに襲われるのでは無いだろうか…

私たちは震え上がりながら人が通るとやたらと大きな声で日本語を話し、私たちは日本人です!をアピールしながら無事ホテルに着いた。

それから数日間、私たちは
「コリア?」「ジャパニーズ」
というやりとりをし続けた。

本当に怒っているというよりは、やらずにいられない自虐ネタのような感じで、おそらく私達が韓国人だとしても危害を加えるような感じではなかったけれど道を尋ねた警察官までもがそんなノリだったものだから大変驚いた。

おそらくその頃には日本も敗退していた為わたしは色んなイタリア人から同情のハグをもらった。

サッカー大国の空気を肌で感じた2002年FIFAワールドカップ。

せっかく自国開催だったのに全く国内の空気を感じられなかった2002年のFIFAワールドカップ。

2023年8月25日沖縄でバスケットボールのワールドカップが開催される。

わたしはこの地にいながら何を感じられるのだろうか。

やはり試合を観に行くべきか…
未だ家族会議の途中である。

いつの日かワールドカップの観戦報告ができる事を願って。

雨音

note創作大賞にもエントリーしています。
応援のスキ♡いただけたら嬉しいです。

小説


エッセイ











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?