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私が私になるまでの物語〜中学編〜優しい先輩になろうとしていた私にふりかかった不運とは?

自己紹介がてら自分の生い立ちを書いてみようと思ったものの、薄っぺらい人生を文章にするのはなかなか難しく、どんぶらこどんぶらこと気づいたら下(シモ)の方に流れていった幼少期編。

幼少期編はコチラ


今回は中学編。

さすがに学生時代は色んな出来事があったはず!という事で今回も見切り発車で思い出すがままに徒然と。

中学時代の私はおばあちゃんの教えもあって、髪の長い女の子だった。

顔が薄く特徴があまりないのでせめて髪型だけでもと、毎日ポニーテールをしてポニーテールの人という印象をつける作戦に出たのだが、そんな拘りに気づかれることもなくすぐにやめてしまった中学時代。

髪型と言えば当時悩んでいることがあった。

前髪についてだ。

友達は薄い前髪をクルンとカールさせたりしていたのだが、私はいつまでたっても前髪が透けることがなかった。
眉毛なんて全く見えない程に分厚く黒い前髪が私のおでこを覆っていた。

いつになったら私の前髪は少なくなるのだろう・・・
私も前髪を遊ばせたい・・・そんな風に友達に憧れていたあの頃。

ある時友達から、前髪は薄くなるのではなく自分で薄くしていくのだという事実を聞いたときの衝撃。

お母さん、お姉ちゃん、なぜそれを教えてくれなかったのか・・・

その日から私は前髪の一部をハードスプレーで固めて徐々に前髪を薄くしていくことに成功した。
これがわたしのオシャレの始まりである。

この頃はお笑いが好きだった。 

ダウンダウンのごっつええ感じが大好きで隙あらばノートの片隅にミラクル仮面のイラストを描いていたあの頃。

(ちなみに私がごっつええ感じで一番好きなコントは「いかめし駅長殺人事件」)

あとは大阪ローカルかもしれないがすんげー!BEST10という番組が大好きで、千原兄弟を筆頭に当時大人気だった二丁目劇場の芸人たちをアイドルのようにドキドキしながら見ていた。

(ちなみに、すんげー!BEST10で好きだったのは、世界のナベアツが組んでいたコンビジャリズムの 「バカドールシアター」知ってる人がいれば語ってみたい)

ローカルネタですみません・・・ 
でも私を作るためには必要だったはずのお笑いとの出会いなので一応記しておく。


スラムダンクにハマったのもこの頃。

桜木花道が大好きで隙あらばノートの片隅に桜木花道の絵を描いていたあの頃。

今でも目をつむっても描けるのではないかと思い先日書いてみたら、てんでだめでした・・・
頭では完璧なのに書くと驚くほどの下手絵になることあるよね。

今でも漫画を読むことが殆どない私が唯一ハマった漫画であり桜木花道はひょっとすると初恋の相手だったのかもしれない。

昔から私はちょっとおバカでエロい主人公が好きだった。
うる星やつらの諸星あたるとか、ハイスクール奇面組も好きだったな…

中学生になった私は4歳上の姉の影響でテニス部に入った。

短い白いスコートを履いた時、なんだか大人になった気持ちになり、これから始まるクラブ活動にワクワクしていたあの頃。

うちの学校は郊外の小規模な中学校だったが上下関係が厳しく先輩と外で会うと大きな声で挨拶をして、先輩が見えなくなるまで頭を下げていなければいけないというしきたりがあった。

テニス部の3年生はとても優しく、私の姉もテニス部だったことから可愛がってもらえていたが、2年生の先輩たちの中に少々厄介なプチヤンキーが数名いた。

3年生が引退したあとみるみる頭角を現していった彼女たちに、私はえんじ色のリュックを背負っていたことがきっかけで目をつけられてしまった。

あんなに素朴で純情な私だったのに、リュックの色だけで目の敵にされた。
1年生は茶色か黒か紺色が無難らしい。

姉よ何故に教えてくれなかったのだ。

気を抜けば2階の窓から唾をたらしてくるような厄介な先輩たちに、同じく目をつけられていた数名の同級生と数回呼び出し(リンチ)というものを受けた。

隠れてやればいいのに彼女たちは何故か渡り廊下に呼び出すものだから色んな人に見られるのだ。

友達が髪を引っ張られたり、軽くビンタをされる姿も見てきたが、運はよく私は手を出されることは無かった。

そんな先輩たちから一度だけかなり理不尽な理由で呼び出しをされたことがある。

訳も分からず呼び出された私はみんなの前で驚愕の発言をされた。

「あんた、私の短冊見て笑ったやろ」と・・・

七夕の短冊の事だ。
私は先輩の短冊なんて見た覚えもなければ笑った覚えもないのだが、何故か先輩は凄く怒っている。

「笑ってません」と言っても聞く耳を持たず「あんたの短冊なんてもっと笑えるわ」と私の短冊に書いた夢をみんなの前で発表された。

あの時の私は素朴でピュアだったが、流石に怒っている理由もやっていることもくだらなさ過ぎて、ちょっと笑ってしまってさらに怒られた思い出。

そんな先輩たちの背中を見て過ごしてきた私たちは、後輩には優しくしようと心に決めていた。

ところが2年生になったと同時に事件が起きた。
なんと、テニス部を廃部にするというのだ。

テニス部は私たちで終わり。
新入生は迎え入れないですって???

優しい先輩になる夢はあっという間に崩れていった。

しかもその理由が、顧問が水泳部を作りたいからですって???

今まで私たちの先生だった顧問がその年からピチピチのブーメランパンツみたいな水着を着てプールサイドで熱く指導する姿を何とも言えない気持ちで見てきた中2の春。

ブーメランパンツ先生はテニス部も兼任していたので試合前や試合の時はテニス部の先生として指導をしてくれたのだが、あの時は本当にあの先生が嫌いだった気がするが、今思い返してもファンキーなクルクルパーマにブーメランパンツ姿がぼんやりと思い出せるぐらいで部活中のエピソードは殆ど思えていない。

人生なんてそんなものだ。

喉元過ぎれば熱さを忘れるというが、熱かったのか冷たかったのかなんて全く覚えていないくせに先輩に呼び出された理由みたいな小さな事件だけは覚えている。

当時きっと悩んだり立ち直れないなんて思っていたこともあるはずだけれど、まったくもって覚えていないんだから人生って面白い(私の記憶力が面白い可能性もあるが)

小学生時代に比べてなんだかドラマチックな展開があった中学時代。

本当は高校時代もまとめて書こうと思ったけれど中学だけで長くなったので、それはまた次回。


雨音

#創作大賞2023







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