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子育ての悩み、ピュアすぎる我が子が心配になったけれど、よく考えたら私もっと心配な子どもだったわ。

先週息子が不登校気味になった。

朝わたしが出勤する直前
「○○くん(1つ歳上の男の子)に20才で死ぬって言われた」
と泣きそうな顔で告白してきた息子。

「あなた今何歳?」
「9歳」
「20歳なんかまだ先でしょ、とりあえず明日も明後日も生きられるってことだからラッキーじゃん!」とか。

「ママなんてノストラダムスとか言う人に世界滅亡するとか言われてめっちゃ怖かったけど、世界まだあるでしょ」とか。

「○○にそんな事予知する力なんかある訳ないやろ!連れてこい!」とか。

なんだかんだ励まして出勤すると、在宅ワークの夫から「お腹痛いって言うから休ませる」とのLINEが。


それが直接の原因なのかは分からないけれど月曜日も火曜日も登校直前に頭痛を訴えて結局お休みすることに。

このご時世なので、兄が頭痛となると妹も学校に行けず、私も在宅ワーク。

朝ワイドショーで流れていた世界の悲しいニュースに少し涙ぐんでから、頭痛を訴えてきたので、こう言う映像は見せないほうがよかったのか…

世の中で起こっていることは知っておいた方が良いと思い朝はワイドショーを見せていたのだが、子どもには刺激的なのか、正解がよく分からなくなった。

その頃一斉に同僚の子ども数名も不登校になっており、こういう世界の出来事が何かの引き金になっているのかも…なんて思ったり。

20歳で死ぬと言われたことにこんなに傷つく息子のピュアさをものすごく心配になったりした。

そしてふと思い出した。
自分の子どもの頃の事を。

思い起こせば、私は死をものすごく恐れて生きている子どもだった。


身近な人の死を目の当たりにした訳でも無いのでもの凄く不思議だけれど、毎日死に怯えていた。


例えばお祭りの帰り道。
ヨーヨーを買ってもらって嬉しくて楽しくてお母さんの隣でスキップ混じりにルンルン歩いている時。

「こんな楽しい気持ちだけど、私いつか死ぬんだ。だったらちょっと楽しむの控えよう」
そんな事を思いスキップをやめた。



食器用洗剤でゴキブリが死ぬみたいな話を聞いた時、洗い物をした後「もしこのお皿に洗剤が残っていたら家族が死ぬかもしれない。みんなを殺すぐらいなら私が死のう」
と全てのお皿に薄く水をはってそれを飲んで死なないか確認した。


いま思えばめちゃくちゃ気持ち悪い子どもである。
もしわたしが私の親なら寝込むぐらいに心配だ。



夜眠る時は布団の中で毎日お祈りをした。

「お父さんとお母さんとお姉ちゃんと弟が元気でいますように」
そして死んでしまう事を想像して毎夜泣いた。

翌日「昨日おばあちゃんの事祈るの忘れてた。どうしようおばあちゃんが死んだら私のせいだ」と泣いたりした。


神社に行って家族にお守りを買おうとして、これを貰えなかった人は不幸になるのかと思うと怖くなった。


いかがでしょうか?
私めっちゃ気持ち悪いよね。


そんな私が大人になり死を怯えているかと言うとそうでも無い。

なんなら「私いつ死んでも良いんだ。もし私が死んだら、すごく楽しい人生でしたって誰かに言っといてね」と謎の遺言を同僚数名に託し、気持ち悪がられるほどに(気持ちわるいのは変わってない)毎日楽しく生きていた。


子どもが出来てからは死んだら駄目だ、死にたくない。と思っているし、推しが出来てからは次回作を観るまで死ぬもんかと毎日生きるのに必死なのでご安心を。


息子の未来を案じて不安になっていた私だけれども、あれ程までに気持ちの悪い思考の私がなかなかのポジティブ人間になれているのだから、将来どうなるかなんて分からない。


金曜日、月曜日、火曜日と学校をお休みした息子は、今ではケロッと学校に行っている。

話し合った末、朝のワイドショーを見るのはやめて、Eテレを見るようになった。

私がテレビを見るのはこの時間だけで、子どもが大きくなってようやくワイドショーで芸能ニュースやCMを見ることができて喜んでいたのに、またEテレに逆戻りである。

しかもテレビ体操の時間だから、ただただご飯を食べながら体操する人を見るというシュールで退屈な時間。
はやく目覚ましジャンケンがしたい。

子育ては始まったばかり、これからも悩む事や心配なことは色々あるだろうが、この子がこうだからきっと未来はこうなるなんて悲観したり気にしすぎず、子どもとの会話を大切にしていきたいと思った出来事だった。

そして今度親にあったら、これ程までに不思議な子どもを育てていた当時の心境を聞いてみたいと思う。

お母さん、お父さん。
育ててくれてありがとう。
ほんのりと幸せな毎日を過ごしているのでご安心を。


雨音


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