ポジティブなのかネガティブなのかよく分からないけれど毎日楽しい女の話。
ここで紹介するコラムは2015年4月5日に書いたものだ。
当時子育ての大変さに翻弄されていた私は、これまで育ててくれた母親に感謝の気持ちが沸いていた。
お母さんの子育ては正解だったよ。
そんなことを伝えたかったのだけれど・・・
あまのじゃく体質ゆえに「今までありがとう」なんて言葉を言えるはずもなく、思うがままにこのコラムを書いた。
そしてこのコラムがある場所で公開されたあと母の日のタイミングで母と姉にこのコラムのURLを送ったのだ。
「ありがとう。泣きました。」
母からの感想。
不器用な感謝の伝え方だなぁ・・・
と思いつつも感謝の思いをいつまで伝えられるのか分からないので 伝えられてよかったな。と思う。
このコラムは当時完全なるポジティブだと思い込んでいた私の書いたものだ。
あれから数年たち、自分はねっからのポジティブではない事に気づくのだが、そのお話はこのコラムの終盤で。
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ポジティブ人間の作り方
2015年4月5日
文章を読むのが好きな私は、育児雑誌などもよく読む。
そこに書いてある事を見ると、意外にも自分もやっていると思う事が多い。
・寝かしつけの時に「大好き・宝物」と伝える
・まずは共感する
など
それを見て「私自然に出来てる。ひょっとして天才!?」なんて思っていたけれど(鼻につくほどのポジティブとよく言われます)
帰省して母親の孫に対する行動を見て気づいた。
私のあやし方って母親そっくり!!!!
8歳年下の弟がいる私。もうすぐ中学生になる姪がいる私。
自然に自分の母親の子供に対する行動を見ていてそれが染みついていたみたい。
ポジティブシンキングが特技の私
長所:ポジティブ
短所:ポジティブ(いき過ぎていて鼻につく・呆れられる・嫌われていそう)
これまでに「雨音さんみたいな子供に育てたい。だって幸せそうだしどこでも生きられそうだから」と何度か言われたことがある。
そして私も自分みたいな性格に育ってくれたら楽だと思う。
(ね・・・鼻につくでしょ。もう少しお付き合いください)
なぜなら美人でもなく、頭も悪く、運動神経も無いのに幸せと思って生きているから!
くじ運が悪くビンゴで当たったことはない。
行く店はことごとく定休日で、頼んだオーダーは「すみません・・・今日売切れで・・・」この言葉をどれだけ聞いたことか。
それなのに幸せなんですもの。
「こんな幸せな人いないよね!!」って夫に伝えるといつも呆れられるけど。というか苛立たれるけど。
よく人から聞かれる「どうやったらポジティブになれるの」
この問いに私はいつもこう答えている「母親の育て方かな」と。
そこで実体験を元に「ポジティブ人間の作り方」を紹介します
・愛情表現をする
3人兄弟の真ん中として育った私。
母親はいつも「3人の内の誰が一番なんてあるはずがない」と断言してくれた。
そしていつも「可愛い可愛い」と育ててくれた。
「自分の子供を可愛いなんて言うな。といつもおばあちゃんに注意されていた」と母はよく私に言っていた。
大きくなってから知った事だけど、私は兄弟の中でも群を抜いてブサイクだったらしい・・・
そんな私も中学生になるあたりまで自分は可愛いと思えるほどのマインドコントロールをかけられていた(中学生にもなればそりゃ気づくけどね・・・気づいてよかったよ・・・)
・小さなことでも楽しむ
裕福ではなかった私達。
休みの日はもっぱら図書館か公園だった。
図書館に行った帰り道、50円程のコロッケをたまに買ってくれる母親。
その時かならず「今日は青春しようか」と言っていた。
青春=買い食い=特別
私はその言葉が出ると嬉しかった。
公園に行く道すがら、家族全員で号令をしていた。
「全体止まれ 1.2.3.4.5」と一人ずつ号令する事が楽しかった。家族がいる幸せを感じられた。
・季節の行事を楽しむ
ひな祭り・クリスマスはもちろんのこと、成人式には家族全員同じ部屋で寝て、お父さんが昔話をしてくれた(これって我が家だけ??)
お正月は必ず新品の服を着る。など季節の行事毎に色んな楽しみがあった。
・お金も部屋も無い。だけど特別な空間を
2DKの団地に5人で住んでいた私達。
縦に有効活用するために兄弟3人3段ベッドで眠っていた。
仲の良い従姉妹が大きな家に引っ越すと決まった時、母親が行動に出た。
3段ベッドに1段ずつ電気とカーテンをつけてくれた(寝台列車みたいな感じかな?)
「○○ちゃんが大きな家に引っ越すから羨ましいやろうけどここがあんたらの部屋やで」と・・・
それを言われた時「羨ましい?何で?私はこの家族が好きやのに・・・」と思ったのを思い出す。
そして従姉妹が遊びに来たとき私達の3段ベッドをとても羨ましがっていたのを見て「ほらね。ウチの方がいいやろ」と思ったことを今でも覚えている(性格悪いね・・・)
家が狭かったからみんなが小さなリビングに集まって、足をぶつけながらコタツに入っていた「お父さん近寄らないでよ。」なんて言える訳も無い
状況・・・側にいるのが当たり前だった。
だから未だに実家に家族が集合すると、みんな密集している(総勢14名が6畳にひしめき合う)
そして私も姉も家族が大好き。(弟には聞いたことがないけれど、きっと好きだと思う)
同じ団地で育った友達は、二度と団地に住みたくないと言う。
だけど私は小さくて家族がいつも見える家が良いと思う。
これは人と比べる事が嫌いな母親が長年かけて植えつけてくれた考え方なんだろうなと最近思う。
先日母親に聞いてみた「育児本読んでた?」と・・・
母親の答えは「いっぱい読んだ」私は育児本なんて読まなくてもいい
母親の真似をするだけで良い。
そんな自信が溢れた。
母親の個性的な子育て方針はまだまだ
あるのでいつか紹介出来ればいいな・・・
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これが私が母に送ったコラムだ。
あれから数年たち自分は根っからのポジティブではないことに気づいたのだけれど・・・
若林正恭さんのこの本を読んでいた時の事。
▼社会人大学人見知り学部卒業見込/若林正恭
人見知りでネガティブな若林さんが少しずつ変わっていく様子が綴られているエッセイ。
小さなことを気にしすぎる若林さんが滑稽でもあり、共感できる。
これを読んでいてものすごく親近感がわいた。
あれ??これ自分が書いたの??と思うような瞬間が沢山。
スターバックスで「グランデ」と言えなかったとか・・・
私も言えないのよね・・・大きいほうとか、コップ指さすとか・・・だれも自分の事なんて見ていないし気にしていないのに、グランデ顔ではないというか・・・洒落た言葉を発するのが恥ずかしい。(グランデを洒落ていると思っている時点でアウトのような気もするが・・・)
そしてものすごく腑に落ちたのはこの一文
ぼくらのような人間はネガティブで考えすぎな性格のまま楽しく生きられるようにならなきゃいけないんですよ。
性格は形状記憶合金のようなもの。なかなか変えられない。
だから、変えるんじゃなくてコントロールできるようになればいい。
私はもともと自信満々なタイプではなかった。
文化祭とかで中心で輝いている女の子を見て羨ましがるような。
目立ちたい願望はあるけどまったく目立つ要素のない女だった。
昔飲みに行った知人から
「雨音さんは“大丈夫ですか?”って人の様子をうかがう癖があるよね。もっと自信持ったほうがいいよ」
と言われたことがある。確かに・・・そうかもしれない。
いまだに手料理は人にふるまえない。
食べた人の反応が怖いから・・・
そんな私だけれどもやはりいまだに人から
「楽しそうだね」
「なんでそんなに幸せそうなの」
と聞かれる。
ここ数年はこう答えている。
「私はネガティブな上にポジティブをいっぱい敷き詰めてる、偽ポジティブなのよ。ネガの上にポジを乗せまくってるから、もうネガティブだったことは忘れてるけど、もともと漆黒だよ」と・・・
この話をすると大体面倒くさいのかよくわからないという顔をされるのだけれど・・・
更にそのコツを聞いてくれた人にはいつも答える
「低いハードルをいっぱい敷き詰めること」
もういい歳だけれども私の前には未だに低いハードルが沢山敷き詰められている。それを一歩一歩超えるのが楽しい。
母親もそういうタイプだ。突然国家資格をとったり謎のダンスを習ったりする面白い人。
やはり根底には母の存在があるのだろうな。
明日はどんなハードルをこえようか。人生楽しんだもん勝ちだから。
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