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君が恋したヒトはきっと。

冬の寒い時期に出会って、春を迎える頃には疎遠になったけれど、とても好きだなと思う人が居た。2個下の彼は何でもやってのけるタイプの人だった。

矢面に立つのは苦手だけど、抜群にセンスと才能があって。どこにいても求められる人。好きなことが分からないと嘆いていた。

何でもできて、顔も良くてセンスもあって。いろんな人がやってくる。それでも、”何者でもない”自分に嫌気がさしていたのだろう。

そういえば、教えてもらったカフェにひとりでも来たいと言ったら、とても小さな声で「絶対に見つけてやる」と言われた。その台詞はきっと嘘じゃなかっただろうけれど、たぶんもうその気持ちを彼が取り戻すことはないし、私もそうだと思う。

今日は偶然、とあるnoteを見つけた。久々にこの人が書いた本が読みたいと思える人だった。交換日記のノンフィクションストーリーだ。書籍はどうやら、オンラインで購入できるらしい。でも、内容が内容だろうから家に置いておくのはどうなんだろうと思い、まだ購入ボタンは押せていない。

彼女が恋に落ちた人が彼だったらいいな、なんて思う。もしも違う人だったら、それはまあ、それでいいんじゃないか。兎にも角にも、発想力が豊かでアグレッシブな生活を送る人の生活を知りたくなった。

そのnoteを読んで、好きだと思っていた人のことをとても鮮明に思い出した。最後に連絡を取ったのも今のこのシーズンだったかな。空気感が一緒だ。

ここしばらくは、すっかり忘れていたけれど、彼の好きなアーティストの名前と彼女のnoteに書いていたアーティストの名前が一緒だったから、急に思い出してしまった。

連絡するのを辞めた日。「好きな人ができたんだ」こう言われた時は何となく、ああやっぱりそうだったかという気持ちと、どこか安心した気持ちと悲しい気持ちで、もうよく分からなかった。今でも言語化しづらい感情だ。間違いなく好きだったけれど、隣にいると苦しくなる人だった。

「僕には〇〇さんが眩しすぎる」と言われた。今更ながら思う、それは逆だったんだよと。私にとって貴方が眩しすぎたんだ。隣にいて苦しいのは、彼の持つ劣等感がひどく私と似ていたからだ。

”だから多分、出会ったんだ。”

彼を見て自分を省みる。彼が持つ劣等感には愛しささえ湧いてくるのに、どうして私が彼を通して私を見つめると苦しくなるのだろう。

当時の私には自信がなかった。捻くれていただけとも言えるかもしれない。
そういった部分が酷く似ていたんだろうな。

初めて彼と会った時、はじめて会った気がしなかった。横にいると自然で落ち着く。互いを知れば知るほど、似ている部分があるなと思った。

ただ同時に、互いのことを知れば知るほどに、こんなことも思っていた。

”きっと私が最後に出会うのはこの人じゃない。”

それだけは確かで、彼もまたそれをわかっていた人だと思う。
「僕は〇〇さんにフラれるとおもう」と言っていたあの日が懐かしい。残念だったね、君の直感よりも私の直感が正しかったみたいだ。なんて空を見て思ったりもしたけれど、当時は悲しさと安堵がぐるぐると渦巻いていた。

ああでもちゃんと好きだったな、こうやって文にしてやっと昇華できていたことを実感する。今日は少しだけ悲しくなった。好きだけで人生は成り立たない。それでも、好きだと思う世界に刺激をくれたのは彼だった。今は感謝の気持ちさえ湧いてくる。

初めて会った日に彼はこう言っていた、「月が綺麗だね」って。私が夏目漱石の作品を好きだと知っていて、なぜそんなことを言ったのか。

今となっては知らないままでいい。私はそういう人が好きだった。

多分、お互いにもう会うことはなくて、もし偶然の間違いとやらで出会うとしても、この先、手を重ねるとかそういったことをする間柄にはならない人だ。

君が恋した人はきっと、彼女みたいな人なんだろう。なぜだろうか、そんな風に思う。日記とかそういうもの、文章から伝わってくるモノクロームと激情、アングラな世界、美しさ。彼が惹かれる存在、雰囲気そのものだ。

彼にはどうにか幸せであってほしい。私の隣にいる時よりもずっと。
誰の隣にいても、大丈夫でいられますように。

君とは何でも話し合える気がした。望めば友達でいることもできただろう。それでも、繋ぎ止めることはしたくなかった。多分、互いにそれを心の底からは望まないから。

来世は親友でもライバルでもいいな。今世でもきっと。またいつか会おう。
借りっぱなしの本、早く返したいよ本当は。でも今はまだ君に会いたくない。この先も会わなくていい。それでも、君の描いた絵が見たかった。

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