そして僕は途方に暮れる
2年前から母に認知症の始まりのような言動が増えてきた。少しずつ。
毎日小さなトンチンカンがじわじわ積み重なり、それに対応する同居の姉の疲労が積み重なり、私は姉に申し訳なくて辛い気持ちが積み重なり.....
姉とは昔から頻繁に電話で話し、大半がバカバカしい話をしてヒーヒー笑い合うことが多いのだが、母の状態が怪しくなってきてからは今後の進行を案じる重い話の割合が増えつつある。
そんな姉と私に、母が認知症の道を歩み始めて良かったと思える出来事が一つだけ起こった。
去年も今年も、母が大事な命日を忘れていたのだ。
姉と私の間には2歳で亡くなったもう一人の姉がいる。(大人になってから亡くなった兄もいるのだけれど)
もしその姉が無事に生きてくれていたなら、私は存在していない確率はかなり高い。
昔から実家の仏壇には赤ちゃんの姉がにこっと笑っている写真があり、毎年3月の命日が近づくと可愛いお菓子のお供えが増える。
私は幼い頃から、お墓参りの時に手を合わせながら母がひそかに泣いているのを知っていた。
母から静かな鼻がぐしゅぐしゅという音が聞こえていたからだ。でも私は気づかないふりをしていた。母から漂う悲しみのかたまりは、子供の私にはくるんであげることができないくらい大きいような気がしていたからだ。
3月の命日は、姉と私にとっては母が悲しみを強く思い出す日とも思う部分もあり、お互いに胸にキュッとしたものが押し寄せてくる。
もう亡くなってから50年以上経っているのに、未だに母に命日の話をするのにも非常に気を遣う。
ところが去年、姉が命日の前日にお墓参り用の
お供えのお菓子を買った時、母が何のお菓子かと聞いてきた。
姉がお供えだと答えた時、信じられない言葉が返っきた。
「誰のお供え?」
姉がびっくりして名前を言うと、少し間を置いて
「忘れていた」と母があっさり言った。
去年は姪っ子の出産が近く周囲がバタバタしていたこともあり、他にも忘れる要因があったかもしれないとあまり深く考えないようにした。
でも、うっかり忘れるくらいになれて少し辛さの重みが和らいだのかなとホッとする気持ちが正直あった。
そして今年も姉から電話があった。
「やっぱり今年も忘れている」と。
しっかりしていた母がどんどん変わっていくことは、娘としてほんとうはすごく悲しいけれど、悲しい命日を忘れるということに関してのみ、脳の衰えに少し感謝の気持ちが生まれた。
「何かさぁ、複雑だけど、初めて良かったと思ったね」
姉とお互い本音を言いあって、少しホッとした。
母の認知症の始まりに、少し良かったと初めて思えた出来事だった。
母がトンチンカンになってからは、一般的によくある「謎の買い物」もよく起こり、チヂミセット10セットとかが姉宅に配達されるようなことも
あった。その度に母は頼んでいないと言い張り、
姉と「もう、今夜はチヂミパーティーだぜぃ」みたいに笑いに変えて折り合いをつけてきていた。
私たち姉妹が人生において有力な武器として備え持つのは「笑い」だ。
これからは多分その武器を使っても対処できないことが起こると思うけれど。
今はただ、たとえ母の悲しい記憶が薄れていったとしても、「私たちは絶対に母より先に死んだらダメだ」と姉とお互いに言い聞かせ合っている。
***
大好きな菊地成孔
ラジオ「菊地成孔の粋な夜電波」の前口上
菊地成孔さんが、ご高齢の母の死の知らせがいつ来てもおかしくないという心構えで日々を送る中、もしその母の最期の時が来たらかけようと選曲していた曲が
「そして僕は途方に暮れる」 大沢誉志幸
その日の放送ももちろんすごくいいのだけれど、
YouTubeの菊地成孔編曲の「そして僕は途方に暮れる」のスタジオライブの音楽がめちゃくちゃいい。編曲が良すぎてシビレる。震える。
そして僕は途方に暮れる
「このラブソングの歌詞が、そのままあらゆる宗教における葬儀の模様を綴った歌詞としても読みうる」と菊地成孔さんの言葉が流れる。
テロップの文章が深くていい。
それを読みながら聴くと、歌詞の良さに引き込まれる。
詩ではなく、歌詞だからいい。
やっぱり音楽だからいいのだ。
そしてしつこいけれど、編曲がいい。
これから様々な誰かの死に直面するときに、悲しみの沼に落ちる感情だけではなく、この音楽のような感情を持ち備えていたら助けてもらえそうな気がする。
その場にいるけれど、別のところから自分を見る
ことができるように。
脳の衰えで悲しみを感じにくくなる場合もあるかもしれないけれど、
そうならない場合のために。
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