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真夜中のお散歩

この週末は感情も思考もめまぐるしかった。
時間の流れ方がいつもと違ったみたい。
そのエンディングとして、台風が接近する中、真夜中のお散歩に出た。

自分史上最大級の大失恋がようやく癒えてきて、1年半ぶりに好きになれる人に出会ったの。
でもうまくいかなかった。いっぱい泣いた。
ちょうどこの週末に、宮台先生の映画イベントがあったことは、かなり救いになった。
映画をたくさん観て、大好きな思想の世界に没入して、起こってしまったことや自分自身や世界全体を、いろんな角度いろんな方向いろんな距離から眺めてみたりした。

二夜連続で合計6時間超えの講義に参加して、すでにトランス状態が半分出来上がっていたんだと思う。
真夜中、ふらりと家を出た。

好きな人とお散歩をした公園を一人で歩いた。
涙が出て、風がぶわっと吹いて、包み込まれた。
ベンチに座って、木や遊具や土や、月や雲を眺めて、それらがこの場所で見てきたであろう光景を思い浮かべる。
走り回る子どもたち、くつろぎ語らう人々、喜びも悲しみも楽しさも孤独も。
私が今、一人ここに座っていることも、あの日二人で座っていたことも、誰も見ていないけれど、この公園はたしかに見ていたんだ。
この時間も、あの時間も、過ぎ去ってしまうけどたしかに存在した。
ずっとここで、たくさんの光景を見続けている公園にとっては、取るに足らない風景のひとつだろうけれど。
取るに足らない、ささいなこと。それでいいんだと思えた。

誰もいない道を歩く。
今、この世に自分しかいないんじゃないかと錯覚する。
信号機は意味をなさない。赤信号をそのまま渡り、交差点の真ん中で立ち止まる。
水たまりの中に映る、揺れる月を飽きるまで眺める。
首をぶんぶん振り回し、グルグル回転して、ぐらんぐらんになった世界を歩く。
道路にうつった自分の影を見て踊る。
手を広げて風を受け止める。
目をつぶってブランコで揺れる。

からっぽになったのを感じた。
風が身体を通り抜ける。
今なら月に行けるかも。そのままここから消えちゃっても大丈夫かも。

この風と同じように、いろんな出来事が、いろんな風景が、いろんな人たちが、私を通り抜けるんだな。
私はそれをただ受け止めるだけ。そうしてそのとき生まれる感情や思考を、刻み込む。
何が起こっても、やってることってそれだけだ。
そう気づいたら、微笑んでいた。

ぐらんぐらんの世界を体験するのが気に入ったから、何度もグルグル回ってはぐらんぐらんの中を歩く。
私の知ってるいつもの世界は、もうここにはない。
私の知ってるいつもの私も、もういなくなっちゃったかも。

明日もまた、何かが私を通り抜けていく。

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