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幸せは主観的なもの。(知的障害の兄貴と比較して)

こんばんは。アルレボです。明日から仕事なのに思い立って書いています。ここ最近は過去のつらい出来事を反芻しては落ち込む日が続いています。もしくは日々の業務に追われ、かえって寝るだけの生活です。そんな中、兄をうらやむ機会がありました。

兄について

歳は一つ上の兄。先天的な知的障害を持っており、学生時代は特別学級で、時にいじめられたりしているのをそばで見てきました。知的障害とはいっても程度は低く、初対面の人はわからないと思います。しかし冗談が通じなかったり、キャッシュレス化した今の時代には、私のサポートがないといけません。でも一人暮らしで一人で通勤し、自立して生活しています。

私との比較

私は田舎の中学から、市内の高校へ。大学にも行かせてもらい留学生と交流したり一緒に暮らしていました。社会人一年目として上京しています。ここまでの人生の中で人脈・価値観の広がりを感じる人生です。新しいものにふれ、学問も楽しさも海外へのワクワクも感じています。

一方で兄貴はずっと地元にいます。TwitterもInstgramもしていません。使い方がよくわからないからです。兄貴は自分の出来事をLINEのタイムラインで共有します。基本インスタ・Twitterが主なので私の周りでもあまり普及していないかもしれません。でも兄貴はLINEのタイムラインしか知りません。またLINEでも学生時代の友人とは繋がっておらず、現在やりとりはしていません。


見下してはいません。家族だからでしょうか。でもやっぱり、選択肢が多い私にとって兄貴をサポートしたい気持ちがずっとありました。


兄貴の幸せ

とあるタイムラインで兄貴が小学校の先生と文通していることを知りました。年に数回手紙のやり取りをしているとのことでした。以下タイムラインから引用です。

この前、小学校の時の先生に手紙を書いたので、今日手紙の返事が来て手紙と一緒にお菓子まで届いていました。ポストからとってみると何かが入ってるなと思いお菓子まで入れといてくれるとは、とてもびっくりしました!!でも感謝したよ、とても嬉しかった。小学校の時の先生とてもありがとうございます!!

始めは拙い文章やな!なんて思っていました(見下してる...)だけど、こんなに素直に喜んでいて素敵だなと、その後感じました。純粋さに自然と涙が浮かびました。こんなに素直に喜べるなんて今の自分にできるのかと思いました。

私は兄貴と比較して多くの人と関わる人生を歩み続けていますが、今現在はそこから生まれた人間関係の呪縛に悩み数年つらい思いをしています。

対照的だった兄貴。彼の純粋に素直に受け取る感性が素敵なものであることを確認した出来事です。時に兄貴はタイムラインで自分で作った料理を挙げています。いいねはいつも2つくらい。私はインスタで、Twitterであげればいいじゃんとかなんとか思っていました。彼はそんな承認欲求とは別に料理を楽しんでいる。何かと複雑に、自分を疑ってしまう私と対照的です。

私にしてあげられること

兄貴は将来、結婚はしないかなと思っています。私は結婚して一族を繋げたいです(笑)

たとえ私が別の家庭を持ったとしても

弟として兄貴のサポートはずっとしていきたい。遠くにいるから直接色々教えれないけれど、ネットショッピングの仕方など色々教えています。

私は選択肢を兄貴に提供することができる。その選択を支援することができる。兄貴の純粋な感性に多くのものを体験させてあげたいのです。