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小江戸 佐原 〜伊能忠敬生家〜 part 1

 香取市佐原には、関東地方で初めて「重要伝統的建造物群保存地域」に選定された江戸風情残る街並みがあります。

父の故郷である佐原に毎年お墓参りに行きます。子どもの頃から小野川沿いはあまり変わっていません。
震災で川が泥状になったり、家屋が壊れたりしましたが昔ながらの街並みは残っています。

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小野川はJR成田線の佐原駅から徒歩10分ほどのところにあります。
今は中止されていますが、風に揺れる柳の下をサッパ舟風の観光船で小野川めぐりができました。

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川沿いには日本史上初めて地図を完成した伊能忠敬の旧宅があり、忠敬橋を渡って川の反対側に忠敬記念館があります。

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忠敬は49才で酒造業を隠居して55才を過ぎてから全国を足で回って日本最初の測量地図を作りました。
しかもその費用は3万両かかったといわれ今の30億円以上だそうです。
忠敬はそれをすべて自費で賄い第10次測量まで17年かかって地図を作り上げました。

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国防のためにも正確な地図が必要だったこともありますが、何より天文学や測量に興味があり〈地球の大きさを知りたい!〉という好奇心から3万5千Kmを踏破しました。
実に4千万歩と言われています。

それは地球一周分にあたります。
そしてその地図の誤差は1000分の1!

人生50年という時代に55才~72才の17年間で成し遂げた功績は本当にスゴイです。

忠敬は歩幅が70cmになるように訓練して距離を測ったと言われています。
誤差を減らすため天体観測をして山を目印にして測量結果を確かめたり南中高度、日食、月食、木星の衛星食なども観測したそうです。
単に陸を歩いただけでなく正確な地図を作るための勉学は並大抵な物ではありませんでした。

 また天文学と測量学の恩師 高橋至時を生涯尊敬し自分の墓も至時の傍に葬ってほしいと願ったほどでした。
至時は20才も年下でしたが忠敬にとって向学心の前ではプライドなど取るに足らないものだったのでしょう。メンツを何よりも重んじる封建社会でこの弟子入りはあり得ないことだったようです。
 
小野川には蔵のある家や古民家を改装したレストランが点在しています。
変わりデザートと言ったら佐原のしょうゆを使ったしょうゆジェラート…
山田屋のうなぎも有名です。
明治34年創業の木の下旅館も風格を表しています。

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小野川からは少し離れますがやはり古民家を改装した和食&イタリアンの吉庭もあります。

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7月の本宿祇園祭と10月の新宿秋祭では各町ごとに大きなお神輿が出ますが吉庭の庭に西関戸のお神輿が入ってきて以前は食事をしながら見ることができました。
 今はお祭りも中止なので残念です。

明日に続きます。



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