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仙台~秋田間における優等列車の変遷③完

【花輪線経由】

 田沢湖線が全線開通していなかった時代、盛岡⇔秋田間の都市間輸送ルートは大幅な迂回や十和田南・大館でそれぞれスイッチバックとなるものの、花輪線がメインであった。このような事情から1962年2月20日から同区間には準急「よねしろ」が運転されていた。一時期2往復体制にもなっていたが、1968年10月1日の改正でいったん廃止となっていた。
 一方1965年10月1日から運転を開始した、仙台~弘前間を釜石線・山田線および花輪線経由で結ぶ急行「さんりく」は、1966年10月1日の改正で「陸中」に改名されると同時に、行先が秋田に変更された。これによって所要約14時間かつ長距離運用となる、仙台~秋田間の急行列車の誕生となった。
 その後1970年10月1日に急行「よねしろ」が運行区間を仙台~秋田間に改め復活し、同区間は「陸中」とともに2往復体制となった。
 1972年3月15日のダイヤ改正で、系統分離により「よねしろ」は盛岡~秋田間に、「陸中」は仙台~宮古間に運転区間が短縮され、宮古~秋田間は「よねしろ」の1往復増発分として運転を開始、盛岡~秋田間で2往復体制となった。これにより、長距離運用も5年半で終わりを告げた。

【仙山線経由】

 昭和の時代において唯一仙台~秋田間の直通優等列車が設定されなかったのが仙山線経由である。山形で進行方向が逆転するデメリットはあるが、走行距離では北上線経由に次いで短いのに、である。これは当初から米沢発の準急「たざわ」や急行「千秋」および後に登場する急行「こまくさ」が山形~秋田間の輸送を担っていたからと推測される。
 この唯一の空白路線に優等列車が設定されたのが、1990年9月1日改正で運転が開始された急行「津軽」である。本来は上野~福島~秋田~青森間の運転であったが、山形新幹線工事の影響で迂回運転のため設定されたものである。停車駅に仙台と秋田が含まれることから、当該区間連絡列車として取り上げる。
 続いて、山形新幹線工事が佳境に入った1991年8月27日から運転が開始されたのが、特急「つばさ」である。上野発着の1往復、仙台発着の3往復(うち1往復は大曲止まり)が運転された。山形新幹線開業時の1992年7月1日に廃止され、特異な運行もわずか10か月の短命に終わった。
 一方、急行「津軽」は1993年12月1日改正で定期列車の運転が終了し、仙山線経由による仙台~秋田間直通運転はわずか3年で幕を閉じた。羽前千歳~新庄間が標準軌化された現在、同線経由の仙台~秋田間の直通列車設定は不可能となった。
 

 列車運行形態に変動があったダイヤ改正ごとの花輪線・仙山線線経由の仙台~秋田間各優等列車の発着時刻一覧表および、仙台~秋田間の優等列車年表は下記にてダウンロード(¥350-)してください。画像資料:PIXTA

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