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人が桜に熱狂するのは

今年は昨年に比べて桜の開花が遅かった。暖冬だと言われた割には冬の終わりは長く、冷え込んでいたため、春が待ち遠しい人も多かったに違いない。

私の家の近隣は桜並木があり、近年は老朽化で伐採が進んでいるものの、この季節は桜のトンネルが道ゆく人の目を楽しませている。いつもは道を急ぐ通勤中のサラリーマンも心なしか歩みが遅い。

先々週、桜シーズンの到来を見越して宴会の予定を入れていた知人は、きっと予定の再調整ができなかったのだろう、枯れ木の公園から悔し紛れに「枝見の会」とSNSに投稿していた。寒そうだなと思いながらも少し笑ってしまった。枯れ木の下でまだ来ぬ春の景色を想像で補完しながらほろ酔いになるのだから、それもまた雅やかな気がしなくもない。

私は春の花の中では梅が好きだ。まだ周りの木々が目覚めないある日、おはよう、と一輪花を咲かせる。楽しい休日を待ちきれない子が、家族が眠る薄暗がりの中でひとり目覚める様子とどこか似ている。大人たちは寒くて布団から出たくないというのに、子どもは布団から這い出て窓を開け、澄んだ明け方の星空を見上げる…そんな健気さと生命力が愛おしくて梅が咲き始めると静かな感動が湧いてくる。

それでもやっぱり桜が咲き始めると、ああいよいよ、名実ともに春なのだなと思う。ふわりと何か身体の芯のあたりが緩むのだ。日本人が桜に熱狂するのは、もしかしたらその美しさだけが理由ではなく、厳しい冬を越えて許されたような、自分を縛っていた何かがはらりとほどけるような気持ちになるから、そんな気がした。

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