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拝啓 親愛なるおじさんへ

会社員を辞めて、久しい。
出勤がない。おはようございますと言う相手がいない。あれほどタスクバーでチカチカしていたチャット通知が飛んでこない。
静かなものです。
そんなとき、ふと、なんとなく何かが久しく足りていない感じがした。
一体、何だ?



それは、「おじさん」でした。


恋しい

最初に断っておきますが、「おじさん」なんて書いている当の本人である私は、年齢的にBBA・Over the sunです。わかる人には、わかりますね?おじさんなんて言える立場ではございません。それは自覚しておりますので、悪しからず。出会ったのが20代前半だったので、そのときは「おじさん」と認識したんだけど、別に今となっては「おじさん」ですらないのかもしれません。ただの一般男性。

さて、話を戻して。
私は、組織で働くのが好きでした。
周囲に良い顔をするのが得意だったし、人と人を繋ぐことも得意でした。
でも、内向的な性格なので、後輩をランチに誘うことはほぼありませんでした。誘われれば行きますが、自分から誘うのはほぼないです。お昼はひとりになりたい。(補足ですが、飲み会は基本的に行きませんでした。なので、私にとって社交タイムは、ランチのみです。)

上司に誘われて、ランチに行くことはありました。そこまで楽しい気持ちではなかったと記憶していますが、行くには行きました。上司なので、どうしても仕事の進捗やメンバーのことなんかを話して、結局仕事っぽくなってしまいます。お客さんに誘われるときも、同じです。どこまで何を言っていいのか迷うときもありましたが、内部事情を聞きたくて誘われてるんだろうなと思うこともありました。あれは偵察だったのか?

そんな「お昼はひとりになりたい」私が、エレベーターホールでお見かけすると背後からそっと近づき、嬉々としたテンションが表に出ないよう押し殺しながら、あたかも冷静である風な顔で
「今日ってお忙しいですか?…ランチ行きませんか?」
と声をかける、そんな「おじさん」がいました。
厳密には、1名ではありません。2〜3名ぱっと顔が浮かびます。プロジェクトで昔一緒だった人、現在進行系で一緒じゃないとなかなかお会いすることもないのですが、お見かけするとつい嬉しくなって声をかけてしまいます。

そこはオアシスだった

あの「おじさん」たちは、砂漠にあるオアシスのようでした。
細かい話になりますが、雇用形態は社員ではなく、いずれも協力会社の方々です。マネジメントというよりは、自分のスキルで食べている人たち。私よりも現場での就労経験が長く、パワーバランスや社内事情など、よくご存知です。困ったときに頼る人、ちょっと聞いてくださいよーと小言を聞いてくれる人。それでいて、上司ではないので変な圧を感じない。むしろ、どことなくほのぼのとした雰囲気さえ感じます。レジリエンスの高さは、おそらくエベレスト級。あんなところで生き延びているのだから、只者ではありません。私はあの「おじさん」たちとランチをすることで、心を癒やしていたんだと、今になって感じるのです。

属性が違う方がいい

「知ってます?最近アンパンマンに青いドキンちゃんがいるんですよ!」
当時、コキンちゃんを知らなかった私は、自慢気に報告します。
「ペットボトルについてるゴミを取ろうとしたんだけど、よく見たらラベルに描かれている鳥だった」
ハニカミながら、おじさんが教えてくれます。

こんな会話をいつもしていました。
性別が同じ・年齢が近い・家族構成が似てる、そういう人とは自然に家族や子どもの話になることが多いです。そういう会話をしたいときもある。でも私の場合、話したいのはできるだけ無益なこと、些細なこと、人によっては「それどうでもいいじゃん」と一蹴するような種類の出来事。それが、いやむしろそれこそが、私にとっては大切だった。とても貴重だった。殺伐とした職場で、あそこで何かを整えていたように思えます。

おじさんだけじゃなかった

思い出してみると、「おじさん」に限定されたものではなかったかもしれません。
・「あなたの両手を切り落としてぇー♪」というあいみょんの猟奇的なLINE風PVを教えてくれた先輩
・日本人の彼氏とのおもしろエピソードを教えてくれる外国籍の後輩
・包丁を持参して昼休みにリンゴを剥いてくれた協力会社の方
・顧客の執務エリアでいきなり大声で私にキレた派遣さん(おっと、これは苦い思い出のやつだった。失敬。)
とにかく、「おじさん」以外の人たちからも、たくさんの癒しをいただいていました。ほとんどは(いや、実のところそれほど多くなかったかもしれないけど、喉元を通り過ぎた今となっては)「楽しかったもの」とラベリングされた箱に入っています。

役立たないことこそ、豊かである

私は、その人の視点から見える物語を知るのが好きです。
会話の中でにじみ出る、私とは違った視点や認知。なぜそう感じるのか?聞くのが好きでした。あと、非生産的な会話も好きです。役に立たないことが、仕事という生産性を求められる活動と対比されて、私の毎日に癒やしとを豊さを与えてくれていた気がします。
そして、ラッキーだった。自分と離れた性質の人たちと協業する経験で、私は自分のちっぽけさを知ることができたのだから。会社に来ない、言われたことをやらない。私の知っている世界なんて、牛乳を温めたときにできる膜くらい薄っぺらいもの。多様性とよく聞きますが、たぶん日本だけで見てももっと多様な姿はあります。私たちが知らないだけで。

そういえば、最近役に立たないことを話す時間があんまりないな。
ああ、だから何かが足りない感じがしたのか。

きっと今、私には「おじさん」が足りていない。



はりきってコーヒーを飲ませていただきます!