保育園帰りに聴いたOfficial髭男dismで泣いた
音楽を聴くとその時によく聴いていた場面が思い出されることがあります。そのまた逆も然りで、音楽を聴くと「ああこれ私のことだよな…というか私のためにこの曲はあるんだな」という感覚になることがあります。
曲を作った人は「そんなつもりで作ったわけじゃないけどな…」と思っているかもしれません。けれど、そのような感覚を生み出す曲は人の心にこれからもずっと残る曲とも言えます。
私にとってその曲は『115万キロのフィルム/Official髭男dism』でした。
アルバム『エスカパレード』の中の1曲です。
子どもを保育園に送りに行った帰りに思わずウルッと来ました。以下詳細を記します。
1.そもそもどんな曲?
考察サイトに上手くまとめられていたので、紹介します。
本来は男性の女性への想いを歌ったラヴソング(って今は言うのでしょうか…)です。映画のストーリーを大切な人と過ごす人生に重ねて歌っている点が特にグッときます。小説を読んでいるかのように聴き手それぞれに物語が想起されていきます。
こういう曲は非常にトリップできて良いですよね。「私もこんなこと思ってた!」「今まで何となく見過ごしてきた感情はこれだったんだ!」となり、自分のテーマソングになっていく感覚は音楽好きならば誰でも体験している感覚かと思います。
2.保育園帰りでの超解釈
保育園帰りでこの曲の中の「君」を「妻」だけでなく、「子ども」も含めた「家族」に何気なく置き換えたら…
泣ける泣ける。。
「日常」こそ幸せなのだ、ということが「非日常」の象徴とも言える映画をモチーフに引き立ってきます。(超解釈であることは重々承知しております…)
具体的に歌詞を挙げてみます。
→父親になると、「主演」ではなく、「カメラマン」「監督」のような舞台裏の役割を担うことが多いですよね。その映画は誰に見せるわけでもない、「目の奥にあるフィルム」という自分の家族のためだけの映画になります。
→些細な子どもや妻の仕草が自分の憂鬱な人生を吹き飛ばしてくれる瞬間はこれまで何度もありました。サムネイルは今もなお更新中です。
→育児には明確な目標や終わりがありません。子どもの人生は子どもにしか決められないのだから、「風に吹かれていこう」と。「フィルムだけは用意」するぞと。父親としての決意です。
→名場面は今までもあるけれど、これからも探しにいこうという期待感。そして家族みんなで命ある限り酸いも甘いも味わおうという曲のラストにふさわしい締め方になっています。
子どもができると今までとは違う感じ方・捉え方が生まれると体感した保育園帰りでした。。
※参考
最近、この曲をベースに実写化されているようですね↓
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