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It rain comes

    ようやっと子供たちから離れ、私たちはストゥーパの外れにある考古博物館に入った、ということになっているが、当日の断片的な走り書きには、ただ博物館訪問、入場料50p、出店でチャーイ2杯とビスケット3ルピーと書いてあるだけなのである。写真すら残っていない。私の持っている『地球の歩き方』(87-88年版)の当該ページには数か所アンダーラインがひかれているし、ヒンディー語でわざわざ博物館の名を記してあるのだから行ったと思う。思うのだけれど、記憶が全くない。『地球の歩き方』によると、考古博物館には、サールナートから出土された仏教関係の彫刻が展示されている、とりわけブッダが悟りの内容を聞かせるさまを表現したとされる初転法輪像が素晴らしいと記されているが、どんなに脳漿をしぼっても、これに関する記憶が出てこない。ダメーク・ストゥーパの巨大さと、物売りと物乞いの子供たちに付きまとわれたことも、簡単なメモしか残っていないというのに、こちらの記憶は強烈に刻まれている。権力と生と欲望を目の当たりにした実体験は、高尚な芸術作品をいとも簡単に駆逐するということか。
 博物館のあと、我々はガートに向かった。メモを見ると、まず人力のリキシャでバナーラス市内まで出て、さらにリキシャでガンガーに向かっている。オートリキシャが捕まらず、やむなく人力のリキシャを乗り継いだのである。人力でサールナートからガンガーは、さすがに無理がある。ざっと地図で見ても10㎞は余裕でありそうである。私の記憶では、この辺のリキシャとの交渉は全てダーニ君にお任せしてしまった。私一人では、とても無理であったろう。
 ガンガーに着いた時、リキシャの運転手は私たちに向かって、突然ガンガーでの沐浴が、いかに効力があるかをとうとうと述べだした。ヒンディー語で一方的にまくしたてられて、何をしゃべっているのかてんでわからなかったが、「最後に、お前たちには神のご加護がある」と言っていたよとダーニ君が教えてくれた。
「リキシャの運ちゃんは、ガンガーに行くときにはいつもあんな講釈を垂れるのかい?」
「そんなことはないよ。あいつがおせっかいなだけさ。君がジャーパニ―だったから、サービスしてくれたんだろう」とダーニ君は笑っていた。
 ガンガーには大勢の人が集まって、めいめいに水の中に入っていっている。女はサーリーを着たまま、男はドーティ一丁で手を合わせ、恭しくずぼずぼ水に入っていく。水はコーヒー牛乳色に濁っていて、どう見ても清浄ではない。水に触るのもためらわれた。
「入りたくないなあ」私が言うと、
「入ることはないよ」とダーニ君も言う。
「沐浴をしたって、何の薬にもならない」そういえば、奥さんはダーニ君に対して、沐浴は嫌っているのに、と言っていたのを思い出した。
「君は、沐浴はしたことあるのかい?」
 ダーニ君は、もしかしたら赤ん坊の時にはしたかもと前置きして
「でも、する気にならないよ。この水はそんなに汚くないって近所の人は言うけど、大いに問題だね」と、あくまでも冷淡である。
「家族は沐浴するのかい?」
「いいや。誰もしないよ。沐浴の効用を、家族は誰も信じていないさ。むしろ衛生上やるべきではないって、父も言っているよ」
「先生も?」
「グランパ?そうだね。幼い頃はやったって言っているけど」
「お母さんも」
「ああ。沐浴したら、せっかく洗った服もサーリーも、また洗わなきゃって言ってるくらいだからね」
 私は不思議に思った。それだけ合理的な思考の持ち主である奥さんが、自分の服の洗濯だけは他人にさせない、食事も家族としないとは。台所にも、自分以外は立ち入らせないと言っていた。どうみても矛盾している。
「君の家の・・・・カースト・・・・と言っていいのかい?カーストでは、沐浴は必要ではないのに、洗濯は頼んではいけないのかい?」
 ダーニ君は、困った顔をした。
「・・・・うまく説明できないな」と言ったきりである。しかし考えてみれば、日本人だって似たようなところはあるんじゃなかろうか。例えば先祖代々行われている神事。あんなものやったって、何の御利益もない。でもやらないと家の他の者からひんしゅくを買う、村八分にあう、もう何百年もやっているから今更やめられない、などなど。比較するなとお叱りを受けるだろうが、根っこは同じなのだ。非合理的だからの一言で簡単に排除できないところに、人間の人間的な要素があるのではなかろうか。もちろん、人個人によってはそれを受け取る心的状況は様々だろう。本心からいえばやりたくないのだが・・・・ってやつだ。思うに、個人が真からやりたければやったっていい。けれど、やりたくなければやらなくっていい、周囲が長年の慣習だからと押し付けなければいい、その人がやらなくなったって誰も咎めなければいい、そうなれば、世の中はさぞ住みやすくなるだろう。
 お日様はギンギンである。全身が焦げそうだ。
「たまんねえな」どこか日陰を探したい。そう思い始めた頃だったろうか、にわかに空がかき曇ってきた。
「・・It rain comes」ビートルズの歌のフレーズではないが、すさまじい雨が降り出した。昨今、ゲリラ豪雨が日本でも盛んに報じられているが、ニュース映像を見、さらには私自身雨に遭うたびに、あのときのガートでのゲリラ豪雨を思い出す。
 突拍子もない大雨で、私たちはあわくって、近くの屋台で雨宿りさせてもらうことにした。
「ついてねえなあ。びしょ濡れだ」
「I don’t care.じきに止むよ」北インドの7月から9月は雨期であり、こういったゲリラ豪雨は日常的なのだという。
「やっぱり、面白くないかい」ダーニ君が聞いてくる。確かに、沐浴そのものは私にとっても興味をひかなかったが、直截につまらんと言うと、せっかく連れてきてくれた彼に悪いから、「いや」とだけ答えておいた。
 ガンガーの水嵩はどんどん増していく。コーヒー牛乳色をした水が、岸辺を飲み込んでいく。私は不安になってきた。
「潅水、するんじゃないかい」
「ノット・プロブレム。ここは大きなガンガーだから、その心配はないよ。他の、小さなところは危ないかもしれないけど」
「危ないって?じゃあ、そこにいる人はどうなるんだい」
「逃げるんだろうね」ダーニ君が、あっけらかんと答えので、私は呆れてしまった。
「逃げ遅れる奴がいるんじゃないかい」
「さあ。でも、ニュースにはならないねえ。だから、ノー・プロブレム」どこまでものんきである。
 雨は、ダーニ君の言った通り、ほどなく止んだ。お日様が再び、ギンギンに照り付ける。雨が降ったばかりだからだろう、ものすごい湿気と熱気に包まれた。不快指数計測不能である。
「たまんねえなあ。この暑さ!」
「ああ。ガラム!」ダーニ君も、眉を寄せている。
「日本は、どうなんだい?こんなに暑いの?」
「いやあ、こんなには暑くはないよ」
 私は、ダーニ君に日本にも雨期があるけれど、インドよりは短い事を説明しておいた。
「でも秋になったらなったで、やはりよく降るんだよ。ロング・ピリオド・レイニー・デイズ・イン・オータム」私は、秋の長雨、という意味でこんな表現をしてみたのである。
「じゃあ、日本では雨季は2回あるのかい?」
「うーん、と言うほどでも・・・・ない・・・・か」たいしてよく考えもしないでカッコつけて言ってしまったものだから、後のフォローに難渋するのである。
 私たち2人は再びガンガーのほとりまで出てきて、ぼんやり水の流れを眺めていた。まだずいぶんと増水しているのに、また1人2人と沐浴する者がいる。危ないんじゃないかとひやひやしたが、ダーニ君は「皆慣れているから」と動じない。私は、間違いなくガンガーで増水の時、おぼれ死んでいる奴は数多存在すると思いつつ、自分がそうなってはたまらんと、「もう帰ろう」言った。そろそろ腹も減ってきたころでもあった。
 と、ふと視界の片隅に、一つの物体が入り込んだ。
「ヘイ、ザット」ダーニ君も気付いて、声を発した。
 コーヒー牛乳の流れに沿って、黒い物体がゆっくり動いてくる。まるで桃太郎の焼き直しドラマかと思えるようにドンブラコと目の前に達した。
「牛か!」
 ガンガーの上をプカプカ浮きながら、私たちの前を通り過ぎていく。水面に付けていて、顔はわからないが牛である。ピクリとも動かない。
「大方、この雨で増水したところを通りかかって、水でも飲もうと思ったのかな。足滑らせてガンガーに転がり落ちたんだろう。あの大きさからすると、子牛でもないね。なんでこんな時にガンガーに近寄ったのかな」ダーニ君の説明では、経験を積んだ牛は、増水時のガンガーには近づかないだろうという事である。しかし、私にとっては子牛であろうとなかろうと、どうでもよかった。ただ、ガンガーの中に漂い、去っていく牛の死骸。その存在の確かさであった。それは明らかに、死せるものの姿であった。聖なる場所としてのガンガー。ヒンドゥー教徒がここで死すことを無上の喜びとしているガンガー。その死の、否応なき死の姿を真正面から私に見せつけながら、ガンガーはたゆたうように流れる。牛にとってはいい迷惑であったろう。彼、あるいは彼女はここでガンガーに飲まれて死ぬなんて考えもしなかったろう。ガンガーは、そんなことなんかお構いなく、一つの生を奪い、その証を冷徹に見せつけているのである。数日後に私は再びガンガーを訪れ、今度はもっと上流で行なわれた人間の火葬を見たが、その時には大した衝撃を受けることはなかった。生きるものの死をインドにおいて見せつけたのは、あの牛の葬送であった。もちろんそれは、自然の手で行なわれた葬送なのであったが。私はその牛が去っていくのを見送った。見送らずにはいられなかった。冥福を祈りはしなかった。ただ、その厳然たる死の姿を、目に焼き付けただけであった。
「あの牛。あのまま海に流れるのかね」
「いや、たぶんその前に鳥や烏にツイバマレテ、跡形もなくなってしまうだろうね」
 ダーニ君は、ああ腹が減ったと声を挙げた。死の冷厳も、己の整理的欲求には打ち勝ちがたいのである。
「久しぶりに、肉が食べたいな」
「なあ。今、牛を見ただろう?」
「はははは。だからさ」
 気色悪がった私までもが、ダーニ君の一言で肉を食べたくなったのは、不謹慎と言うべきなのであろうか。
 ところが、今日は日曜だったからなのか、食べ物屋はどこも開いていない。屋台もない。ガートを出てさんざん歩き回ったが、見つからない。
「日曜日が安息日っていうのは、クリスチャンの教義だったはずだがなあ」私はぐったりしな、うんざりしながら言った。
「関係ないと思うよ。日曜日は、大体の奴が休みたがるだろう」どうやらダーニ君も、この辺の事情には詳しくないようである。ようやく一件の店を発見した。大通りに出て、アシムル家に向かって30分は歩いたろうか。ぽつんと一軒だけ屋台があった。
「もう、下痢は止まってるよね?」いまさらなのだが、ここでまた腹をこわされてもと危惧したのかもしれない。
「大丈夫さ。こんなに腹減ってるんだから」
 さすがに牛肉と言うわけにはいかなかったから、チキンのカレーにしたが、これが恐ろしく辛かった。35年たった今でも舌の記憶に鮮やかであるのだから、よほど辛かったのであろう。ただ、やたらと良心的な屋台と言うべきであったろう。チャパティーとカレーのどちらもお代わりし放題で、2人で3ルピーで済んだ。当時の日本円に換算すれば400円足らずである。しかし口の中が溶鉱炉の如き状態となった。たまらず他の屋台でチャーイを頼んでしまった。
「牛みたいに・・・・」私はさっきのガンガーでの光景を、再び思い出していた。
「ガンガーでおぼれる動物、いるんだろうか」
「ああ。犬は何度か見かけたよ」ダーニ君は、やはり人間もとは言わなかった。しかし彼は、当時の私よりは生き物の死を身近に経験しているらしかった。ひりひりする口をチャーイでさましながら、私は思った。
(死せるもののそばで、生けるものは喰らう)