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根っこにある国、イギリス

   この2年あまり、バズコックスにダムドに999と、かつて夢中になって聴いたバンドに再び向き合っている。ピート・シェリーの評伝やらダムドの新聞記事やら、999のインタビュー(これらは英語である)まで辞書を片手にしどろもどろ読むことまでしている。ついでに17~18世紀経済学史やら産業革命の専門書まで引っぱり出し、学生時代の病が再発の様相を呈している。
 私の知的営為(?)の傾向は10代のときから基本的に変わっていないとも言える。つまり極めて狭いテリトリーをのろくさと今日まで徘徊―30年あまりの長い中断を含めて―してきたのである。過日、私の好む音楽の規範は13から19歳までに形成されたと記したが、その音楽の傾向も含めて、一本の筋が連なっているのだなという思いに改めて到る。極めて乱暴に、簡単に言いかえると、私の知的関心の大動脈はイギリスの歴史・文化であり、そこから派生した文物に偏向している。アメリカの音楽や文化、例えばブルースも、それを気に入ったのはイギリスのヤードバーズやクリーム、フリートウッド・マック―ここでのマックは60年代である―といったバンドが取り上げていたからであり、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやストゥージズ、ドアーズにハマったのも、60年代のブリティッシュ・インヴェイションのバンドに親しんだことがきっかけだった。ラモーンズを知ったのも、ポール・マッカートニーがかつて自らをポール・ラモーンと名乗っていて、その最初の3枚のアルバム・コンセプトに初期ビートルズのアルバムがあったからである。アメリカのギター、たとえばSGとかレスポール・ジュニアに惹かれたのも、イギリスのミュージシャンが使っていたからだったのであって、直接アメリカの人、バンド、文物から影響されたのではないのである。
 人生で初めて海外に行く地としてインドになったのも、ビートルズと因縁浅からぬ関係であったのと、イギリスの植民地だったからでもあった。いや、これは大学の第二外語としてヒンディー語を選んだから、というのが正しいが。
   もちろん、このイギリスに対する知識にしたって極めて浅いレベルでしか手に入れていない。中世の薔薇戦争とか十字軍とか述べよと言われたらお手上げである。18世紀スコットランド啓蒙だって、1707年のスコットランドとブリテンとの合邦に端を発して・・・・と議論を吹っ掛けられたら、もう沈黙するしかない悲しいレベルである。それでも、私の「知」―きわめて貧しい「知」だが―の起点はイギリスの歴史であり文化なのである。
   他愛のない、憧れなのだ。イギリスが各国で軋轢を起こし、偏向な思想信条―自由~資本主義の名の下で―を他国に押しつけた弊害がいやしがたい傷を世界に与えたのも事実だ。それでも、私はイギリスに憧れ続けるだろう。訪れることはかなわないだろうが。