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迷ったら、頭ではなく心に従う


他人から見ると、どうやら私は、自信を持って即断即決していると思われる節があるようですが、実はかなり慎重派で優柔不断な臆病者。
フリーの身だと一つの仕事の影響が大きいせいか、直感的にコレ!と閃きながらも、決断がなかなかできない状態に陥ることが多々あります。

「頭ではなく、心に聞きなさい」

20代で転職活動をしているとき、ある会社から大きな仕事と立場のチャンスが訪れました。社長じきじきに提示された立場や報酬は申し分ない、どころか充分すぎるほど。仕事の内容も身に余るようなコンテンツ(著名人)でした。客観的に見れば大チャンス、分野としては私も携わりたい仕事。
なのに、おじけづいて決断ができない私に、この社長は言いました。
「迷うなら、頭ではなく心に聞いて決めなさい」

この時、初めて「頭より心を」という明確な意識を知りました
イマドキは「考えるな、感じろ」とかカッコいい言葉がありますが、当時はそんなスマートな感覚もなく、人生を暗中模索していました。

"心に聞いた"結果、この仕事はお断りしました。
立場や報酬などはありがたかったですが、どうしてもコンテンツに対して自信が持てない、興味がわかない、どちらかと言えば「苦手」な類でした。
次への経験のために立場や報酬をステップにすればいいのに、と助言をくれた知人もいましたが、そのためには心がかなり犠牲になる予感がしました。

岐路は、自分にふさわしい難問

結論を出す前、私が迷いの途中で「今の私には不相応で自信が持てない」と言うと、この社長は、こんなことも言いました。

「神様は、その人にふさわしい問題や岐路を与える。今の君に、総理大臣になるかどうか、なんて問われないでしょ。自分にその難問が来たということは、不相応ではなく、君に可能性があるという証拠だよ」

なるほど…。
この言葉は、私に少しの勇気をくれました。乗せるのがウマいというか(笑)。この社長に付いていきたい気もして、気持ちは揺れました。
それでも、対象コンテンツが「人」だっただけに、心が向かずしては長期間の責任は持てない、という思いが払拭できませんでした。
結果的にお仕事のご縁にはなりませんでしたが、とても奇特な社長さんとの出会いには感謝しています。

その後も、少しずつ形を変えて(ハードルを上げて?)、そのときどきの私を試すようにやってくる岐路
そんなカッコつけてる余裕はないけど、「私にふさわしい難問」と思えば、勇気が出てきたり、こんなことを悩む次元になったんだな、とちょっと自分を労ったりもできます。
その岐路の度に「頭より心が向く方向」を大切にするようになりました。

「心が向く」とは感情的なものだけではない

まずは直感的な好き・嫌いもありますが、「心が向く」というのは、必ずしも感情ではなく、本心からの共感や納得、理解、応援など、対象の良いポイントを見つけて自分もプラスの心持ちになれるかどうか。

そのプラスの心がないと長続きしないし、仕事の質も上がりません。
なるべく私は、心が向かないものや手段は選ばないようにしています。

どこにプラスを感じるか、は人それぞれの価値観。価値観が変われば「心が向く」方向も変わってくるかもしれません。
もしかしたら、分野は苦手だけど「この人なら」「この理念なら」やってみたい、など感情的な「好き・嫌い」とは別の次元で心が向くこともあるかもしれません。
経験を重ねてくると、そんなことも増えてきて、自分でもビックリします。
今の私にとって「心が向く」ポイントがあるかどうかは、丁寧に探るようにしています。

「ソントク勘定」をしない

この探るときに邪魔されそうになる「頭での考え」
痛い目に会いたくない、イヤな思いはしたくない、ラクな方法でやりたい、考えなしでソンしたくない…と考え出すと欲も出てきて、そのくせ計算なんてできない私は堂々巡り。
最低限の危険と迷惑の回避くらいは踏まえておくとして、私はシンプルに一点だけ決めています。

ソントク勘定を優先しない、目先のソントクや利益で選ばない。

仕事に対して真っ当な対価を頂くのは当然ですが、この仕事はトクしそうだ、という算段だけで進むと、結局はろくなことにならなかった、という経験もあります。

ちっともトクになりそうにない、ビジネス的には採算度外視、だけど楽しそう、やってみたい、という思いでやった仕事は、結果的にとても大きなトク、いや「徳」になって返ってきたものばかり。
そのリターンは、お金だけでなく、人脈や経験など自分自身の財産です。

ビジネス界からは、なに甘いこと言ってんだよ、という声も飛んできそうですが…。

サイエンスでも「心の効果」を重視

栄養や医学は私の専門外ですが、最近、仕事で「食」についての知見を知る機会がありました。
医療、介護、栄養の専門家が異口同音に唱えています。
「栄養を計算するより、好きなものを楽しく食べることが健康の秘訣」

特に少食の高齢者の場合(疾病のある人は別)、ガチガチに計算された食事をイヤイヤ食べるよりも、好きなものを楽しく食べるほうが栄養がきちんと吸収され、健康維持につながる、という実証があるそうです。

気持ちが消化にも影響するのは万人同じのようで、たとえばアスリートでも、管理栄養士に計算された食事を、自分が納得して理解して食べないと、栄養素が効果的に吸収されないそうです。
「そこにあるからしょうがなく食べる」という食事は、何も自分の身にならないと聞きました。

サイエンスの世界でも、心を優先する考え方があると知り、ますます心に従うことの大切さを確信しつつあります。

いざというときに 心の声をキャッチするために

人間社会では簡単ではないのも承知していますが、どちらか迷ったときは、心の声を大事にするほうが、結果的に自分自身も周囲もハッピーに回ることが多いのではないかと思います。

ずっと心にフタをして無視していると、心が固まって、やがて自分の心の声さえ聞こえなくなってしまうような気がします。
気づいたときは自分の本意ではない自分がいる…みたいな。

今では、「今、私これどう感じてる?」とこまめに自分の心に聞いてみるのがクセになってきました。
ムカついてたり、悔しかったり、楽しかったり、不安だったり色々で、些細な声にいちいち従うことはできません。
ただ、その些細な声に普段から耳を傾けていることが、いざというときに自分に必要な声を届けてくれるかなと思っています。


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