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純粋な祈り

まだ30代前半だったのかな。
当時の僕は音楽活動がメインでコンポーザーとしての自負もあったり。
そしてアートディレクター&デザイナーとして駆け出した頃でした。

そんな折に京都の恵文社でギャラリー展示に空きが出来てしまったので誰かいませんか?と相談を受けたので、「あ。僕がやります!」って手を挙げたのがきっかけでした。

そんなこんなで1995年のちょうどクリスマス・ウィーク。
京都・恵文社一乗寺店で『praying under the stars   きのしたつとむ展』を開催することになりました。

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これが当時のDMです。
デザインはもちろん僕です。
当時の写真もスナップしか残ってないし、実物の絵も捨てちゃったので残ってないのですが、抽象的な心象風景を描いた作品を展示しました。

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まあ、展覧会のために2ヶ月篭って、アクリルガナッシュ中毒で吐いたり大変な目に遭いながらも絵を仕上げて間に合わせました。笑
それ以来絵はほとんど書いてませんが、これはとってもいい機会だったと今でも思ってるんです。

クリスマス・ウィークに展示するにはどうなんだと今見て思いますが(笑)、自分の中の心象がこんな感じなんだと初めて向き合えましたし、感情や感覚をビジュアル化することは、デザイン・ディレクションと全く同じ世界観といっていいものだと今になって思いますからね。
クリエイティブは憧れるんじゃなく、まずチャレンジすることが大切なんだろうと教えられた経験でしたから。


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このDMを改めて見て、素晴らしいなと我ながら思うんです。
このデザインが他の人から見ていいかどうか、での判断ではありません。
僕の中で、「僕がデザインしたもの」という基準で素晴らしいんです。

何が素晴らしいかというと、自由になんの忖度もなく、純粋に自分がいいと思ってデザインしてることが自分でよーくわかるからなんです。
このデザインには、忖度にまみれ、マーケティング常識に汚されてしまった今の僕なら、このDMはこうならなかったと思うんですね。
この頃は、もちろんデザインは仕事でしたが、デザインはもっと明確にクリエイティブに寄り添った作業だったなと振り返るんです。

時にデザイナーは、自分がいいと思えない方向へ向かって着地点を探らなければならない時があります。
いや、クライアント仕事なので、ほとんどの仕事が100%いいと思える方向ではないと言ってもいい。
だけど、経験を積み、引き出しをたくさん作って、理論武装にも慣れてくると、その作業がたとえ自己10%満足でもクライアント100%満足が出来るようになっちゃうんですね。
それが信頼されるということだし、食べてゆくというになるわけです。

でも、それが上手く出来るようになると、今度はいつの間にか、本当に100%いいと思えるデザインができない身体になってしまうことがあるんです。
スキルも引き出しもあるのに。です。
純粋に「かっこいい!」や「心地いい!」や「可愛い!」といったような感覚をクリエイティブの土台に置けなくなっている、とでもいうか。
それで良しとして生きてゆくことを選択するデザイナーもいるかも知れません。
でも、僕は、それはそれは、とってもとっても、悲しいのです。


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いいと思うものを、純粋にクリエイトする。
それはもう祈りだ。
すべてのクリエイターが唱える祈りなのです。
この展覧会のタイトルに込めた想いのようなもの。
僕らはいつもデザインという星空の下で
いつも純粋な願いを祈っているのですね。

これからも、そういう仕事をなるべくたくさんチャレンジしたいと思うんです。
純粋だった頃の自分を振り返り
充実していた仕事を見直して
自分のルーツやクリエイトに対する憧れだった対象を思い出して
いいと思える自分のセンスを確認しながら
これからも忖度と戦ってゆきたいと思うんですよね。





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