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赤バス

「赤バス」。
地域によっては親しまれてる赤いカラーリングのバスをそう呼ぶこともあるそうなのですが、僕が生まれ育ったところでは路線バスの最終便をこう呼んでました。
「この便が最終ですよ」と利用者に知らせるために、行き先表示板が赤く点灯しているので「赤バス」と呼ぶのですが、そもそも最終便を赤くすることが全国的な路線バスの常識なのかどうかも知りませんし、「赤バス」という呼び名が全国的な呼称なのかも知りません。
でも、とにかくその最終便が赤く光る「赤バス」の風情がちょっと怖かったんですね。w

見た目の雰囲気ももちろん血の色に染まった行き先表示はどう転んでも可愛いものではありません。
しかもボウッと赤く光る様子はどこか禍々しささえ感じることもありましたしね。
乗るとどこか異世界へ連れて行かれるんじゃないかと思わせる独特の風情があるんですよね。
そして、何より、僕には「赤バス」を見ると必ず思い出す話があるので、そのことによる影響も受けていると思うのです。

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時は1979年頃。
僕は、京都の宇治にある高校に通っていました。
必然的に、そちら方面に住む同級生も多くなるわけです。
なので、よく京阪電鉄宇治線の六地蔵駅で下車して、醍醐と呼ばれる地区の友達らの家に遊びに行くことが多かったんですね。
六地蔵駅から市バスでいくつかの停留所を過ぎたくらいの場所へよく行ってました。

時には最終便のバスに乗ることもあったのですが、ある日から最終便の時刻が繰り上がったのです。
1本か2本早く終了する感じで、運行予定が変更になったようでした。

今みたいに携帯でサッと調べればいい時代ではありません。
時刻表ですら、電車の場合、改定時に改札や切符売り場に無料で積まれた小さく折り畳まれた新しい時刻表をいただいて、定期入れやお財布に入れて持ち歩く、という時代でしたし、ましてや使い慣れてない市バスの時刻変更情報なんて、それぞれの停留所に書いてある時刻情報以外どこで入手すればいいのかさえわからない時代でした。笑

しばらく経って、学校でそのことが話題になってました。
聞くと、なんでも、運転手さんたちが気味悪がって終バスの時刻を早めた、という噂でした。

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明日に小学校の入学式を控えた女の子が、入学をとても楽しみにしていて、ランドセルを背負って遊んでたら市バスに轢かれて死んでしまったという事故がありました。
その日以来、赤バスに毎日必ず、
事故のあった停留所からランドセルを背負った女の子が乗ってきて
車内でいなくなる、ということが続いていたらしいのです。

そこで赤バスの時刻を早めたというのです。
(当時、それが原因なら早めて解決するのかいな?と思ってましたけど。笑)

その噂以来そのバスを僕が使うことは無くなったということは言うまでもありませんから、その後供養したとか、霊障は収まって元に戻ったとか、その辺の記憶は曖昧で既に忘却の彼方なんですが。w

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人の噂というものは曖昧で未確定であればあるほど尾ひれがついてエグめに成長し語られるものです。
この話が本当だったかどうかは検証する術はありませんし、今となっては検証するべき意味もあるのかどうかという話でもあります。

でも、16歳の僕には相当な印象を植え付けたエピソードだったのは確かです。
それ以降、赤バスを見ると100%脳裏によぎるエピソードとなったわけですからね。

いずれにしても、今でも赤バスにはなるべく乗りたくない気持ちは抜けませんし、日々の生活の中で全くバスを利用しなくていい人生を送れて来れてラッキーだったなと思います。

でももし、その事故が本当にあったことだったのだとしたら、その子の無念や親御さんの悲しみは想像を遥かに超える出来事だったことには違いないわけですからね。
遠い時代、遠い場所からにはなりますが、静かにご冥福をお祈りしたいと思います。

「赤バス」。
とっても禍々しいのでここはひとつ提案を。
最終便の行き先表示板を綺麗なセルリアンブルーとかにしてください。
どうかどうかお願いいたします。係の人。笑



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