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Sunny Days Scenery

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日々の素敵なことや想うこと
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#エッセイ

いい社長とあかん社長

やりたい仕事を見つけて起業して、 個人経営者として頑張ってる人ってやっぱり魅力的だと思います。 それがフリーランス的な経営でも、 会社形式で複数人で運営している場合でも、 魅力的な活力とオーラが溢れ出てることが多いと感じます。 でも、会社の社長になり、 従業員を抱えて会社の規模が前述の時点よりも大きくなってくると その多くは、社長自身のその足跡や功績こそ賞賛し得る場合がありますが、 結局会社を維持するために「金儲け」色に侵食されて、 従業員になんでもお金になることを考えて働

いとしのVinyl

「ビニール」。 塩化ビニールの俗称とでもいうのか。w 昭和に限らず令和の現在に至るまで、今も昔も僕らの日常に溢れているあの「ビニール」を皆さんはどうお思いでしょうか? よくプラスチックと混同されて、自然環境破壊や環境保護の世界的な意識変革の観点から、プラスチックと共にビニールも今や世の中の悪の象徴のような風情もありますよね。 俗に言う「ポリ袋」は主にポリエチレンが原料のプラスチックで、石油100%の加工品です。 主にストローやカップの蓋やスーバーなどのレジ袋に使われていま

糖尿仲間てか!

年末の定期検診にて。 悪玉コレステロール値も糖尿病認定境界数値もギリです、と言われました。 次の検診は2月終わり。 年末年始を挟むこの時期はどんな人もこの辺の数値は上がるので次回は越えそうですね、と担当医に言われてました。 そして2月の検診時。 案の定、生まれて初めての糖尿病認定の数値にかかりました。 そう。 「あなたは今や糖尿仲間でっせ!」と宣告されたんですよね。w とはいえ、この数値はお薬で治療するようなレベルではないので、生活習慣と食事内容の節制などで改善を図りま

長く生きてても。

自分はずっと「旅が好きな人間」だと思っていました。 バイクに乗っていた時はよくふらりとツーリングに出かけてその日に宿泊場所を決めて泊まって帰ってくる、みたいなこともしょっちゅうやってたのでね。 いつだって旅をすることにワクワクするし、常に旅立つことを想定して生きていた感じもあって。 まあ、若かったとしか言い訳がつかないのですけれども。w でも実際は、ほとんど海外も含めて旅には出ないまま生きてきた「色々事情があって旅に行きそびれてる旅好きな人間」なんだということが判明してくる

自分のため 人のため

自分のためか人のためか。 よく言われる選択肢ですが、 これよくよく考えると絶対に2択ではありませんよね。w 時に、人のために頑張ることがひいては自分のためになることは多々あって。 さらに、ここでは自分のためを貫き通すことが、ひいては人の利益になる場合もあるわけで。 自分か他人かの2者択一でことが収まるならいいですけれど、 実はこの二つはとてもデリケートに絡み合っていて、 簡単にどちらがベストなのかはなかなか難しい問題だと思います。 感情的には全部「自分のため」で生きて

アケイディアンを紡ぐ旅

この夏、僕にとっては言葉を失う瞬間を経験しました。 それは何気に見てたネットニュースの中の小さな記事でした。 「ロビー・ロバートソン逝去」 享年80歳だったそうです。 思わず絶句して、スクロールさえも止まりました。 「マジか。。。。。」 近年、僕が慣れ親しんでいたアーティストが次々に亡くなられていて、 僕の中ではその度に「ああ、またか。。」と少しばかり残念に思うと同時に、自分もそういう年齢なんだな、と実感することの繰り返しでした。 このニュースももちろんそういった類

やりたいこと

みなさんもそうだとは思うのですが ずっと「やりたいんだけどな」と思ってることってあると思います。 いつかやりたい ●●●になったらやりたい やれる条件が揃ったらやりたい 絶対にやろうとは思ってるんだけど。。。。 そこにはきっといろんなやりたいがあると思います。 そして、どうしてもそれができない、まだやれない状況というものも確かにあったりするんですよね。。。 **** 高校を卒業した直後に、クラスメイトが集まって卒業コンパをしたことがありました。 田園という、1982年

追憶。いや現在進行形。w

バーブラ・ストライサンドという女性をご存知でしょうか? 1963年(僕の生まれた年!!)にコロンビア・レコードから歌手としてデビューしたバーブラのデビュー・アルバム『ザ・バーブラ・ストライサンド・アルバム』は同年に2つのグラミー賞を受賞するなど、順風満帆なシンガー生活のスタートを切りました。 そしてデビュー作から3作目までが同時にビルボードのポップ・アルバム部門のトップテンに入るなど、当時ビートルズがチャートを席巻する中で異質な活躍を見せていました。 そしてシンガー活動と並

江戸時代の日本の首都

明治2年まで1100年近くに渡って日本の首都だった場所は? 暗黒の戦国時代以降、260年間も天下泰平の安寧をもたらしたあの江戸時代も日本の首都であり続けた場所は? もしかしたらわからない人もいるのでしょうか?w そう。 京都ですね。 改めて思うに、江戸時代まで京都は首都だったんですよね。w いうまでもなく、江戸が首都になり、冠されたその名前は東の京都。 東京都というわけですね。 **** 794年(延暦13年)の桓武天皇の平安遷都以降、 1869年(明治2年)の東京奠都

楽曲制作の手順

僕は楽曲を作るのを趣味としています。 元々は若い頃にバンドを長い間組んでいて、 全て僕の楽曲を演奏し歌っていたバンドだったので、 音楽を始めた当初にギター1本で弾き語るような楽曲制作の頃から数えても 何百もの楽曲を作詞作曲してきました。 しかし今世紀に入ってからは全くそういう機会も持てずに、 長い間楽曲制作から遠ざかっていたのですが、 昨年の末からなんとなく機材をまた買い揃え始め、 今年に入って遂に楽曲制作を再開した、という感じですから、 趣味としての楽曲制作はまだ始めた

外国に住んでみたかった。

今僕は「Stay Salty」というWeb Magazineを発行しているのですが、そのマガジンに連載(不定期)参加いただけてる人たちの半数以上は海外に住んでいるか、海外に住んでいたことのある方々に執筆してもらっています。 毎号原稿と写真をいただき、文章を読んで写真を拝見して、Web上にレイアウトしてゆく作業は、繁忙期にはなかなかのプレッシャーと共にじっくり時間をかけられないジレンマと戦うこともありながらも、いつもなんとも幸せで楽しい作業でもあるのです。 というのも、僕は

なんとかなるとは限らない。。かも 笑

最初に就職した出版社の倒産時、 「フリーでやってみてもいい? 失業保険が半年出るからその間になんともならなかったら就職するから」 と奥さんに相談。 まだ1歳になったばかりの長男を抱えた奥さんは 「いいよ。やるだけやってみれば」 と(思うに)大きな不安を抱えながらも承諾してくれました。 かくして「アロハデザイン」がスタート。 「なんとかなるさ!」的な思いで始めたわけです。 あれからもう20年以上の月日が流れました。 今の場所にいるまでに本当に紆余曲折ありましたからね。 振り返

DIXIE MOON STUDIO

以前このブログで、楽曲制作の再開を宣言した時に、とりあえず最低限揃えた機材を紹介しましたが、実はあれからもちょこちょこと拡張を繰り返してて、実はマイスタジオも進化に進化を遂げているのです。 もちろん、巨大なコンソールや高価で大きなスピーカーなどを取り揃えたスタジオを作ることは全くもって無理なので、あくまでもスタート時のセットからのプチ進化に過ぎないのですけどね。笑 スタート時、こういうシンプルな機材から始めました。 キーボードスタンドにキーボードとペダル。 オーディオイン

自己矛盾肯定推奨

自分の生き方などというと大袈裟で。 でも、自分の人生とかいうともっと昭和っぽくなって感じが違うし。 それでもこういう文章で自分を語るときに、自分が今までどうやって生きてきたかを語ることは不可欠ではあるけれど、それらの体系自体を表す言葉が見つからない気がしてるんです。 でも、たとえそんな気がしてたとしても、書くこと自体に何らかの影響があるのかと言われれば全くないんですけども。笑 *** 自分が今まで生きてきた中で見つけてきたことや諦めて放棄してきたことに、何の曇りもな