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【企画】日本語業界のきっかけ〜そういえば、私は世界と触れていたかったんだ

私が日本語教師を10年、続けてこられたのは
やはり「世界と、人と、触れていたいから」だと思います。

もともと、私の父は自身も長い間留学していた人で、
日本人留学生を海外に送り出す仕事をしていました。

母は、留学こそしたことがないですが
近しい親類に日系アメリカ人がおり
子どもの頃から、英語しか話せない従兄弟と一緒に育った人でした。

そんな両親だったので、
小さな頃からたくさんの「外国」を見せてもらって育ちました。

そして父の仕事で、家族でアメリカへ引っ越すことになったのは中学生の時でした。

現地の学校では全て英語!
しかもレベルの高い(今考えると、ほぼアクティブラーニング。学生がずっとしゃべってる!)授業ばかりで初めては戸惑いましたが、大変ではなかったです。

知らない言葉を調べたり覚えたり、
翻訳した文から新しい何かを知ることがとても楽しかった。

それに、私が色々言葉を覚えて話すと
友達もきちんと応えてくれた。

言語ってすごいなぁ!

と思ったのでした。

でもここから私が日本語業界に辿り着くのはまだまだ先の話。

言語はすごいけど、
私がやりたいのは音楽の仕事!
その中でも権利関係の仕事が面白そう!

そう思い、音楽ビジネスが学べる大学に進学しました。
そこでアートマネージメントと著作権について勉強し、
日本の著作権の会社に入社しました。

ずっとやりたかった仕事!
業種柄、コンサートにも行き放題!
(年間100本以上行っていました)

・・・なのに、全然面白くない。
なんだこれ。
仕事ってこんなものか?
もう少し続けていれば、面白くなるのかな?
石の上にも三年、と言うし・・・

と、しばらく続けているうちに
どんどん仕事が増え、
気が付けば終電後まで残業することも頻繁になり、
休日も出勤ばかり・・・
給料はよかったけれど、
なんだかなぁ?

でも、一向に楽しくならず
むしろネガティブな部分が増えていくばかり。

ここで転向するべきか?
でも何に?
私にできることって何だろう?

やりたいことは色々あった。
映画業界で働いてみたい。
飲食を扱うメディアで働いてみたい。
通訳ガイドもしてみたい。
大学で勉強したコンサート業界に行くのもいいかな。

そんな折、
私の近くにいた人物が
「日本語の先生をやってみるのはどう?」と声をかけてくれました。

その人は、日本語学校で日本語を教えながら
養成講座でも教えている人物でした。

「えっ、でも私、日本の高校の国語習ってないよ!?」

「大丈夫。それでも日本語を教えることはできるから」
「とにかく楽しくて刺激的な仕事だし、貴方に向いていると思う
と言われた。

それまで私はその人を見ていて、
楽しそうだとは思ったけれども
やってみたいとは、まさかまさか・・・

それが、なぜか
「ちょっと覗いてみようかな」という気持ちになり
「あぁ、そういえば【言葉ってすごい】って思ってたんだった」
と思い出し
「自分も外国で勉強していた経験があるから、何か役に立てるかもしれない」と、

気が付いたら養成講座の椅子に座っていました。

日本の学校での国語をまともに勉強したことがなく、
いわば「消去法」で「流されて」たどり着いた日本語教師という仕事でした。

正直なところ、始めは
単なる仕事としてしか捉えていませんでした。

それが、不思議なことにいつのまにかどっぷり。
音楽の仕事をしていた時は
「今日は会社行きたくないなぁ」と思うことはしょっちゅうでしたが
日本語教師を始めて10年間、
どんなに仕事が忙しくても、
そんな気持ちになったことは一度もありません。

これって・・・
私にとって最高の仕事なのでは??


「あぁ、音楽が好きだったけど
それ以上に【人と触れ合う仕事】がしたかったんだな」

「日本という枠を超えて【世界と触れ合う】毎日を送りたかったんだな」

という、あちらこちらで落としてきたパズルが
ぴったりはまったような感覚です。

人生ってどこでどうなるかわからないもので、
私は、自分が思っていた道とは全く違う方向へやってました。
だけど、どちらが正しいかなんて、進んでみないとわからないものですね。

この道はとても輝いているし、いつでもワクワクできる。
この道へと導いてくれた人たちには感謝してもしきれません。

特に、私の特性を見抜いて(?)日本語教師という職業を紹介してくれた大先輩には、いつも感謝しています。



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