【ラテンアメリカ旅行 #01】🇨🇱リセットボタン押して南米へ
南米に行く前のこと
▽ 快適な生活の裏
2018年頃、ふと自分のその頃の生活を振り返り、何かモヤモヤしていた。
コンフォートゾーンから離れられくなり、本気で生きていないからだ。
海と山の近くに住み、リモートワーク、波があればサーフィン、波がなければ小さな山を走り回る。自分的にはある意味理想的な生活ではあった。
そのころから南米に長期滞在してみたいと周りの仲間達に伝えていたが、そのままぬるま湯に気持ち良く浸かる。そしてコロナ禍になり先行き不透明。
▽ とりあえず行ってみよう
それから4年後、2022年になっても状況は変わらずにいた。
夏の終わり頃になると、やりたいことができる状況なのにやらない自分にいい加減嫌気がさしていた。2023年、仕事や家など諸々の契約を終え、完全に自由の身でとりあえず南米に行ってみることにした。
未来ではなく今、その瞬間に集中して思い切り生きてみたい。
最初の目的地 『風の大地、パタゴニア』
▽ チリ側のパタゴニアへ
あっという間に時は過ぎ、2023年2月下旬、40時間ほどの空の旅を終えて南米チリの首都、サンティアゴへ到着。人生で一番長いフライトは結構苦痛。すでに夕方5時だったので空港の近くに一泊することにした。
翌朝、プンタアレーナスという街へ飛行機で移動⇨プエルトナタレスまでバスで3時間かけて移動し無事チリ側のパタゴニアに到着。
東京出てパタゴニアに到着するまで既に2日半以上かかっている。
▽ チリってどんな国?
▽ パタゴニアってどんなところ?
南米大陸の南緯40度以南にあるパタゴニア。日本からすると地球の反対側に位置する。チリとアルゼンチンにまたがり、両国の南の方↓
地名の由来↓
風の大地と呼ばれるほどの強い風果てしなく広大な土地、変わった動物たち、大きく広がる美しい氷河などで有名
(*とある街で会った人はトレッキング中テント泊をしていたとき、暴風でテントを飛ばされてしまい、別の仲間のテントに逃げ込み、一晩中みんなでポールを抑えながら夜を明かしたらしい)
また、アウトドアブランドのPatagoniaのロゴのモチーフにもなっているクライミングで有名なフィッツロイ(アルゼンチン側)もある。
パイネは嵐で一週間クローズ
▽ トーレス・デル・パイネの情報収集
早速プエルトナタレスに到着し、バスターミナルで宿泊先を紹介してもらいそこに向かう。地元に人たちに聞きながら歩き回ること30分、ようやく宿泊先に到着。そしてトーレス・デル・パイネの情報収集をしていると、ストームにより一週間クローズという事実を知る。近くまで行けるツアーがあったので一緒の部屋に泊まっていたトルコ人の女性を誘って一緒に参加した。
▽ トーレス・デル・パイネってどんなところ?
▽ 食中毒の洗礼と人の優しさ
このツアーから宿泊先へ戻り、みんなで夕飯を食べると僕1人だけその日の夜から体調を壊す。そこから2日間、汗と吐き気、下痢が止まらない。おそらくその夜に食べた茶色い油身の牛肉が原因。早速異国の洗礼を浴びる。
*パタゴニアは水が綺麗で水道水も飲めるところが多く、あまり水の心配はいらない
こういう時いつも以上に人の優しさを感じる。みんな心配してくれて、りんごを買ってきてくれたり、薬を買ってきてくれたり、温かい。
おかげさまで翌日の夜から回復し始め、次の行先について考える。
パイネ諦めウシュアイアへ
トーレス・デル・パイネが開くまで一週間待てないので、Wサーキットは諦めて南米最南端の街、ウシュアイアへの移動を決めた。
一緒の部屋のトルコ人女性、Serinも同じく一緒にウシュアイアへ行くということで、バスの乗り換えの街、プンタアレーナスに戻り一泊した。その宿泊先で出会ったイタリア人女性、Lisaと3人でウシュアイアへとバスで向かう。
似たようなヴァイブスを持った仲間たちが集まっていくので敵が現れないドラクエのようで楽しい。
そして国境を越えアルゼンチン側へ。国境越える前に貨物フェリーで大きな川を渡ったり、出入国のチェックなどでバスの乗り降りがあって、当然通貨も変わったりと結構面倒。そしてバスの乗車時間は11時間。3人の中で僕だけスペイン語話せないので、バスの中でアプリで勉強。意外と有意義な時間。
*パタゴニア全域Wifi繋がりにくかったので事前にMaps.meやSpotifyなど諸々ダウンロードしておくのがおすすめ
長くなってしまったので今回はここまで
バスの中で聞いてた曲を一曲紹介。Beirutの『Elephant Gun』1人で知らない土地にいる時にふと聞きたくなる曲。ウクレレのゆるさが心地よい。
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