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月徨 -後編-

三日月、戦、ガラス戸

ーー14年前、東西戦争が勃発する直前、私は西側の人間だった。軍の訓練兵だった私は、特別任務として東側への諜報活動を命じられた。
 両親が東生まれだった私は適任で、戦争孤児のふりをすれば誰にも疑われることなく潜入することができた。
 東軍の訓練施設を主席で卒業した私は、一級戦闘員となり、祖国へ情報を流し続けたが、戦況は悪化するばかり、次第に向こうからの連絡が途絶えるようになり、私は任務の意義を失いつつあった。
 その後、こちら側で妻を娶り、心は徐々に祖国から離れ始めていた。

3年前、これ以上の戦線継続が困難だと判断した両国軍は国際連合の調停によって、ポルトール湾を隔て、休戦協定を結んだ。

それから1年間は、束の間の平穏が訪れ、私も軍を離れて、妻と2人慎ましい暮らしを送っていた。

しかし、東側に捕らえられていた捕虜の1人が度重なる拷問と、栄養失調で死亡していたことが何者かによってリークされると、報復として西側の本土侵攻が始まった。

すぐに、私たちの住む地区も被害を受けた。轟音が鳴り響き、ガラス戸が音を立てて割れた。外に飛び出すと街のあちこちで火の手が上がっていた。私は軍の要請を受け、再び戦闘機に乗ることになった。

必ず帰ってくる。そう言って家族と別れたのはいつだったろうか。家を立つ直前、妻から御守りとして受け取った護身用のナイフを腰から取り出し、月の光にかざしてみる。
 
戦闘直前、すっかり途絶えたと思っていた祖国から連絡がきた。そこにはたった一言、
「ヒガシヲホロボセ」
そう書かれていた。

「東を滅ぼせ……か。この爆弾を東に落とせば祖国は勝つだろうな。」
 そう呟き、ナイフをしまおうとした時だった。

「なにを……言ってるんですか?」

気がつくとフレッドが起き上がって、驚いた目でこちらを見つめていた。

「起きてたのか、フレッド。」
もはや言い逃れはできない。最悪の場合、このナイフでフレッドを殺すしかない。

「そう……だったんですね。じゃあ先輩が西側にリークを……。」

「違う。それは俺じゃないんだ、信じてくれ!」

「だまれ!この裏切りものっ……‼︎」
 
俺が諜報行為をしていたのは休戦協定を結ぶ前までだ。虫のいい話かもしれないが、フレッドと共に飛んだ時間は紛れもなく、東の人間としてだった。俺の過去はどうしても変えられるものではないが、それだけはわかって欲しかった。
「すまない、フレッド。だが俺は東に爆弾を落とすつもりは……。」
 
しかし、言いかけた言葉はフレッドの笑い声でかき消された。

「ハハハッ……、なんてね、冗談ですよ。それ、俺ですから。」

「は……?どういう……?」
 一瞬の沈黙が、私の脳に状況の整理を促す。だが、それを待つより早く、フレッドが答えた。
「だから、リークをしたのは俺なんですよ。俺は先輩の監視のために祖国から送り込まれたスパイです。」

突然の出来事に頭の整理が追いつかない。いや、私が派遣された時点で他にも諜報員がいることはわかっていた。だが、まさかフレッドだとは。

「この戦争は、僕らがパイロットに選ばれた時点で西側の勝ちだったんです。」
「先輩は気付いてなかったかもしれませんが、あと少しでバレるとこだったんですよ。スパイだって。だから連絡を絶って、俺が送り込まれた。」
「連絡。受け取ったでしょう?ヒガシヲホロボセ。ふたりで祖国の英雄になりましょうよ。」

「いや、俺にはできない。」

「は?何故です?あそこには守るものなんてないでしょう。あなたが愛した奥さんも全ては西の用意したニセモノなんだから。」

そうだ。妻から受け取ったあのナイフに彫られていた文字こそ、俺がこの14年間待ち望んだものだった。私が愛し、そして愛されていたと思い込んでいた妻さえも、所詮は私にあてがわれた西の監視員に過ぎなかったのだ。

「さあ、一緒に東を滅ぼしましょう。先輩。」

ああ、国も、妻も、後輩も。何もかも失ってしまった。俺はもう、どちらの国にも帰ることはできない。「できないんだ。俺には。」
 
私は西側の人間であり、東側の人間でもあった。それでいて、西側の人間でもなければ、東側の人間でもなかったのだ。せめてこのまま、どちらの人間でもないままに夜を飛んでいられたなら。

私は腰に当てた鞘からナイフを抜き放った。

          ※

真っ暗な空に月の光に照らされた機体が浮かんでいた。

ここは夜明けの来ない世界。 
月の光を浴びながら、終わりを乗せた飛行機は今日も暗闇を彷徨い続ける。

           完

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