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入試の推薦書、何とかなりませんか?

令和8年度入試から、大学共通テストがウェブ出願になるそうだ。現役生の願書のとりまとめを高校で行う必要はなくなり、検定料の支払いにクレジットカードや電子マネーも使えるようになる。率直な感想として「本当によかった!」と思う。

教員ではない人のために解説するが、従来は「願書の取り寄せ→配布→書き方の指導(学校によっては保護者への説明会も含む)→担任によるチェック→進路指導部によるチェック→通し番号記入→郵送→確認ハガキの受け取りと配布→内容修正したハガキの郵送→受験票の受け取り・配布」という一連の作業をすべて学校で行っていた。(本年度も、もちろんそうだ。)労力はかかるし、校内〆切に遅れる生徒も少なからずいて、全員が受験票を無事に受け取るまで結構大変なのだ。

超過勤務削減のために小さいことを見直していくことも大切だろうが、やはり全国規模で業務効率化してもらうのが一番だ。「仕事が減ってよかった~!」という嬉しい気持ちを同業者と共有できるので精神的にも良いような気がする。

入試に絡む業務削減で私が切望しているのは「推薦書の簡略化」である。生徒が学校型推薦入試に出願する場合、担任が推薦書を書くのだが、大学によってはとんでもない分量を要求してくる。A3判裏表に「推薦理由」「学習状況」「課外活動の成果」等を文章で書かなければならない。自分の文章力を試されているようでPCに向かって悶々とする。クラスに10人ぐらい希望者がいると大変な労力だ。自分が作文をする傍ら、生徒本人の志願理由書の添削もする日々が2~3か月は続く。

推薦書を書きながら思うのは「これが本当に合否判定に必要なのか?」ということだ。生徒の意欲や適性を見るのであれば、生徒自身の志望理由書や面接の受け答えで判断すれば良い。調査書にも所見はある。(これも本当に必要かわからないけど。)推薦書には良いことしか書かないし、美辞麗句を並べて実際より「盛る」のが普通だろう。おそらく客観的な事実(英検準1級、〇〇コンテストで優勝、地域の〇〇活動に参加、等)しか合否判定に使えないのに、なぜそんなに文章を書く必要があるのかわからない。たまに、所見欄が無く「責任もって推薦します」という一文と校長印のみの推薦書様式に出会うと、その大学の方角に向かって手を合わせ、大学の繁栄を祈ってこうべを垂れたくなる。

と、長年思っていたところ、強力な助っ人が現れた。生成AIである。「生成AIを推薦書作成に活用する」方法もすでにたくさん出回っていて、今年の入試では推薦書作成風景も様変わりしているだろう・・・ってちょっと待ってほしい。AIが書くなら、ますます推薦書の所見の意義は薄れていくばかりではないか。だからやっぱり、そもそも所見欄をなくせば事は解決するのだ。もしこれを読んでくださった大学関係者の方がいれば、ぜひ学内で提案をお願いしたい。


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