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不倫とは?

いつの世も不倫だとか、浮気だとかは男女がいれば必ず生じる出来事です。

決してそれを良いこととは思いませんが、当事者でもない人々、とりわけマスメディアやネット界隈の人たちは知り合いでもなければ会ったこともないテレビの中の人を重大な犯罪を犯したかのように糾弾するのはなぜなのでしょう?

私にはそれこそが、日本社会の病巣であり問題であると思うのです。

とはいえ、そんな社会であるがゆえに特に有名人にはリスキーなのが不倫。また一般人であっても決してハッピーエンドが望めないのが不倫です。

なぜ人は不倫をするのか?

そもそも不倫は結婚というものがあるのが前提で、結婚がなければ不倫という言葉すらないわけです。

結婚は「これから夫婦の経済活動を始めます」という婚姻届を提出する一契約に過ぎません。

経済活動は恋愛ではありませんから当然つまらないですし、お互いの意見が異なったり、衝突したりする場面もあるわけです。

子供がいたらなおさらで、教育だとか躾だとか経済以外にも衝突する材料が増えるわけです。

あれほど好きだった彼氏彼女も気が付けば、ケチなおっさん、口うるさいおばさんになってしまってっていて、恋心なんか幻のように消え去るのです。

そんな乾いた心でいるときに、ちょっと可愛い女の子やイケメンが現れて、二人きりになる機会ができたりなどしたらどうなるでしょうか?

結婚生活に不満を持てば既婚者は恋愛という経験があるからこそで、楽しかった夫婦になる前の時代のリバイバルを期待してしまいます。

乾いた心は当然潤いを求めていますから人は簡単に恋に落ちてしまうというわけです。

不倫の結末

不倫のたちが悪いのは以前の恋愛とは違い恋の駆け引きを必要としないため展開が早いということです。

言い換えると会う目的は一つなので会うたびに快楽に溺れて行くのです。

快楽の日々が続くと人はいよいよブレーキが効かなくなります。

そしてそうなって危険なのは、心から始まる一般的な恋愛と違って、散々男女の既成事実をつくってしまった後に心が盛り上がってしまう場合です。

最初は心と体を分けていても、いつしか不倫は浮気ではではなく本気の恋愛になってしまうということです。

そうなれば、ここで不倫関係あるいは夫婦関係のどちらかに何かしらの結論を求めることになるわけで泥沼の様相を呈することになる場合もあるのです。

不倫という言葉

不倫のほとんどはそこに関わった誰もが納得いく結果、結末にはならないようですが、「不倫」この言葉自体も何か釈然としないものを感じませんか?

「不倫」とは倫理から外れたこと、人の道から外れたことを意味するのは分かっていますが、倫理から外れるとなると非倫理となり、略されて「非倫」また意味的にも、人の道に非ずですから「非倫」なのではないでしょうか?

「非」と「不」どちらも打ち消しの意味で用いられる接頭語ですが、
「非」は完全否定の打ち消しであり、方向性が逆の場合に用いられます。

ですから「非」はその後ろに付く語の意味の枠から外れたということを表し道理にそむいたり、道にはずれたりすること。例えば非倫理的、非人道的・非行・非俗・非道・非難・非礼などと、良くないことの語になるわけです。

一方「不」は足りない、あるいは方向性はあっていても及ばない場合に用いられます。

そのことからも「不倫」は「不倫」より「非倫」が相応しいと思えるのです。

では、なぜ「非倫」ではなく「不倫」なのでしょう?

そこで「不倫」という言葉がいつ頃から使われるようになったのか、歴史を見てみると、実にくだらないことが分かったのです。

それは、1983年のTBSの「金曜日の妻たちへ」というテレビドラマが「不倫」という言葉を世間に広めて、それに追随した視聴者や他のメディアが一般化させてしまったようです。

そもそも「不倫」という言葉自体が「非常識」、日本語の道からも外れた言葉だったようです。

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