パンは日本食!?日本生まれの菓子パン、調理パン。
日本人の主食である米の消費量が減少を続けているのために、パンのウェイトが増加し、1世帯当たりのパンの購入金額が史上初めて米を上回ったのは2011年度のことです。
そして2013年ごろから始まり今も衰えていないのが高級食パンブームです。
西洋から伝来してきたパン食文化ですが、すでに日本でもすっかり定着して街のパン屋を覗くと今では数えきれないほどの種類のパンがところ狭しと並んでいます。
そこには日本生まれのイタリアンのナポリタンや日本生まれの中華の天津飯、エビチリのように日本独自のレシピのパンが進化して定着しているいるのです。
「あんパン」
日本生まれのパンといえばこれが元祖です。
1874年に木村屋の創業者、木村安兵衛と、その次男で二代目の英三郎があんぱんを考案し、翌年には明治天皇に献上されたのが、あんパンです。
「ジャムパン」
ジャムパンも木村屋が元祖です。
ビスケット生地にジャムをはさんで焼く作業からヒントを得た木村屋三代目の儀四郎が、1900年にジャムパンを考案しました。
あんパンとならび現在でも木村屋で人気の看板商品として親しまれています。
丸型のあんパンと区別を付けるために楕円形に作られ、他社もそれに追随したことから、後年でも楕円形が一般的となっています。
現代ではジャムパンと言えばイチゴジャムですが、昭和10年代頃までのアンズジャムが一般的でした。
イチゴジャムが用いられるようになったのは日本でイチゴの栽培が始まった大正時代辺りからで一般的になるのは更に後の昭和20年代後半辺りからだそうです。
「メロンパン」
焼き上がりの見た目がメロンの皮のようにひび割れて見えることから名前が付いたという説や、メロンエッセンスを加えているからとか、メレンゲからメロンと呼ばれるようになったからなど、色々な名前の由来があります。
また考案者もアルメニア人のパン職人イワン・サゴヤンが、日本でフランスの焼き菓子ガレットを元にして作ったという説や駒込木村屋の店主・三代川菊次の菓子パンの製法や形状が現在のメロンパンによく似ていることから、これをルーツとする説があります。
「クリームパン」
1904年に売り出したクリームパンは中村屋創業者の相馬愛蔵がシュークリームの美味しさに感銘したのをきっかけに、作って売り出したのが評判となりました。
「カレーパン」
1927年に東京都江東区にある名花堂(現:カトレア)二代目の中田豊治が洋食パンとして販売したのがはじまりで、パン粉をつけて揚げるというのは、
とんかつから発想したのだそうです。
「焼きそばパン」
1950年代に東京都荒川区南千住にあった野澤屋で焼きそばとコッペパンを同時に販売していたところ客に「面倒だからはさんで」と言われて作り広まったとする説が有力です。
ちなみに野澤屋は2010年に閉店しています。
「ピザトースト」
1964年頃東京都千代田区有楽町の喫茶店、紅鹿舎(べにしか)で高価だったピザを安価で食べて欲しいとの思いで考案されました。
「豆パン」
生地に甘納豆(金時豆)を混ぜ込んだ北海道が発祥の丸い菓子パンですが石川県のパン工房バビロンでは、元祖豆パンという名称のパンを販売しています。
「ようかんパン」
豆パン同様、北海道を代表する菓子パンの一つです。
種類は主に、コッペパンタイプ・ツイストタイプ・
ロールパン・正四角形のパンが存在します。
「ちくわパン」
ちくわパンとは、ちくわの穴にツナマヨサラダを充填させ、パンにマヨネーズと共に焼き上げた調理パンです。
札幌どんぐりのオリジナル商品で、クチコミで話題が広がり様々な地元メディアに紹介されヒット商品となり、他店でも登場するようになりました。
「サラダパン」
マヨネーズで和えた刻みたくあんのペーストをコッペパンに挟んだ惣菜パンことです。
滋賀県長浜市木之本町木之本にある1951年創業のつるやパンの名物パンです。
滋賀県のごく一部の地域のローカルフードでしたが、2000年代のご当地グルメブームによってマスコミに取り上げられるようになり滋賀県発の変り種パンとして全国的にも知られるようになりました。
ざっと拾っただけでもこんなに日本生まれのパンが存在して今この瞬間にも日本のどこかよパン屋をさんではオリジナルのパンが誕生しているのかも知れません。
日本人のアイディアと探求心は西洋の主食も凌駕したと言えるです。
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