見出し画像

翻訳家・柴田元幸さんの『朗読フェス』へ行ってみた(全朗読本リスト付)。

失礼ながら、正気の沙汰か、と思ってしまった。翻訳家・柴田元幸さんの『朗読フェス』。令和元年残すところ10日あまりの12月19日。道を行き交う人も車も3割増しのスピードで年末に向かってわき目もふらずに進むなか、柴田さんご本人が、ほぼ1日を費やしてひたすら朗読をする

柴田元幸さんといえば、ポール・オースター、チャールズ・ブコウスキー、エドワード・ゴーリー、スティーヴン・ミルハウザーなど、現代アメリカ文学翻訳の第一人者だ。そんな柴田さんに「いまお客さんとわかちあいたい英米小説を、昼から夜まで一日じゅう、怒濤の300分朗読!奇怒哀楽をテーマに、古典から訳したてホヤホヤの新作まで」なんていわれたら、何を捨てても駆けつけたくなる。

開場時間の12時を少し過ぎて到着した原宿のイベントスペースVACANT(昨年12月いっぱいで営業を終了してしまったそうだ)。とはいえ、夜9時まで9時間も続く長丁場なのだから、きっと観客もスロースタートに違いない、だなんて、なめていた。1階のギャラリースペースを抜け2階の会場へ足を踏み入れ驚く。横長の会場の端から端まで、五重のおうぎ形で並ぶ椅子はすでにびっしり埋まっていた。立ち見のスペースもひしめき合いの状況だ。なんとか立てる場所を確保して第一幕を待った。

画像1

ひょひょい、と軽い足どりでマイクのもとに現れた柴田さん。にじりにじりと見つめる観客を前に、じつにリラックスしたご様子。柴田さんの口から、すべらかに言葉が流れ出す。9時間は4部の朗読と、合間に3回のライブで構成されていた。第1部“奇妙な昼”に登場したのは、

 エリオット・ワインバーガー「山」
 ケリー・リンク「スペシャリストの帽子」
 ブライアン・エヴンソン「テントの中の姉妹」

これほど完璧な幕開けはない。壁ひとつ向こうは目まぐるしく喧噪に満ちた師走のまちなか。壁のこちら側では、一人の男性が読む物語に百人を超える人たちがじっと耳を傾けている。こんな奇妙なシチュエーションに、柴田さんは観客を一気に引きずり込んだ。ケリー・リンクとブライアン・エヴンソン、それぞれが描く姉妹の可愛らしい好奇心に誘われて聴き入るうちに、どんどんおかしな気分になってくる。あれっ、何か引っかかる、変だぞ。そうしてたどり着いた先は、見慣れたようで、まったく知らない世界。まるで今いるこの場のようだ。

坂本美雨さんのやわらかな歌声の幕間をはさみ、続いて第2部“怒濤の午後三時”で、世界はさらに奇っ怪にねじれていく。

 ナナ・クワミ・アジェイ=ブレニヤー「ザ・フィンケルスティーン5」
 シルヴィア・プラス「メアリ・ヴェントゥーラと第九王国」

読み聞かせや朗読には、大まかにわけて二つのタイプがあるらしい。何年か前に小学校で読み聞かせのボランティアをしていたとき、最初に先輩ボランティアからいわれたことだ。①感情たっぷりに身振りや手振りを交え朗々と読む。②一切感情を交えずに淡々と読む。柴田さんはどちらのタイプでもなかった。リズムをとるように体幹を移動させながら手をかるく上下に振り、絶妙な間やスピードで登場人物を「演じ」分けていたけれども、決して大げさでもなければ、無感情でもなかった。それでいて浮かび上がるナナ・クワミ・アジェイ=ブレニヤーが込めた怒り――アフリカ系アメリカ人の苦悩――の激しさは、身をすくませるに十分な迫力があった。

アンビエントな音楽が昂ぶった気持ちを静めるトオイダイスケさんのライブを経て、第3部、トウヤマタケオさんの音色が効果音のように響く“哀しい宵”へ。

 J・ロバート・レノン「たそがれ」
 エリック・マコーマック「トールゲート」『雲』から
 リン・ディン「同志 故郷からの便り」
 レベッカ・ブラウン「ゼペット」
 スチュアート・ダイベック「マイナー・ムード」

ピノキオを思わせるレベッカ・ブラウンの小説から、シカゴの街を生きる移民の少年の物語、スチュアート・ダイベックの一節に至る過程で、不思議な感覚に見舞われた。小説のなかに出てくるどの異国の地名、異国の名前も、柴田さんの口から発せられると、カタカナではなく、漢字すら思い浮かんできそうな、よく知っている場所のような、懐かしい感じがするようなものに聞こえてくるのだ。これは勝手な想像だけれども、柴田さんは、きっと何度も何度もそれらの言葉を反芻し、最も適切な訳語を吟味し、必要な言葉をつくりあげ、文章を磨きに磨いて、原作者が編み描いた世界を行間ごと翻訳されているのだと思う。そして、この「行間をうつす」技に、柴田さんは大変たけていらっしゃる。だから、読み手は大きな違和感を覚えることなく、違う文化や異なる人々の生活のなかにもすっと浸ることができるのだ。海外文学は名翻訳家がいてこその思いを新たにする。

民謡調の一風変わったけものさんの調べを経て、いよいよ最終章、第4部“楽しい夜”。ここが本当に最高だった。

 ルシア・ベルリン「ときどき夏に」
 サローヤン「心が高地にある男」
 ジェームズ・ボールドウィン「サニーのブルース」から
 スティーヴン・ミルハウザー「ホーム・ラン」

夜8時を過ぎてもなお、柴田さんは元気いっぱいだった。お疲れだったに違いないが、声の張りといい、滑舌といい、一貫して変わらないどころか、フィナーレに向け口調にも熱の入るラインナップでたたみかけてくる。近年、再評価の高まるルシア・ベルリンの一篇は、これから刊行されるできたてのホヤホヤ、先取りのお得感に心躍る。そしてサローヤンの作品に出てくる親子のスラップスティック調なやり取りにわき起こった会場の笑い声は、スティーヴン・ミルハウザーの、奇想天外なボールの行方とともに伸びて、伸びて、あり得ないほどの距離を飛んだあと、会場を朗らかな雰囲気で満たした。なんという9時間だったのだろう。ほんの断片だったけれども、幾つもの人生やさまざまな世界にふれることのできた興奮!

一冊の本を手にするきっかけはいろいろあれど、これほど楽して良本と出会えていいのかと思ってしまった朗読フェス。ただ座って耳を傾けているだけで、未知の作家、未読の書を知れるだなんて、おいしすぎる!柴田さんイチオシの作家たちのイチオシの書のイチオシの抜粋だから、間違いはない、お墨付きの安心。年度内に複数冊の翻訳をかかえご多忙であるにもかかわらず、本好きにうれしいこのようなイベントを開いてくださった柴田さん、ありがとうございました。第2回の開催もお待ち申し上げております

画像5

■会場は、ハンドドリップ珈琲やカフェ飯も販売され、リラックスして朗読を楽しめる雰囲気。柴田さんをモデルにしたオリジナルトートバッグが可愛い。写真を撮っているそばから売れていき、慌てて最後の1枚をget!

画像2

■大人気であっという間に売り切れてしまった100円本コーナー。出おくれたため、どんなタイトルが並んでいたのかは不明です(悔しい…!)。

画像3

■私が購入したのはジャック・ロンドン『犬物語』。2月28日(金)から公開されるハリソン・フォード主演の映画『野性の呼び声』の原作も入った短篇集。オマケはポール・オースターの文庫本!ともにサインを入れていただきました。

画像4

■ALL REVIEWS友の会では、うれしい特典いっぱいの会員第3期募集中です。詳しくは下記のリンクをごらんください。


この記事を書いたひと:小島ともみ
映画とミステリと猫とビールが大好き。初恋の人は「ホームズ」の自称シャーロキアン。ほか好きな作家は国内【泡坂妻夫】【綾辻行人】【倉知淳】【島田荘司】【貫井徳郎】【東野圭吾】【森博嗣】、海外【キング】【クリスティ】【シーラッハ】【ラヴゼイ】【レンデル】【ルヘイン】(敬称略)。原産地北海道、雪は無条件ではしゃぎます。
Instagram:@dera_cine17

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?