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応援の真の価値

先日、部活の追い出しコンパがありました。

小学2年から15年間(1浪を挟む)野球を軽く齧ってきましたが、ようやく本当に引退です。

地元の少年野球から始まり、シニアリーグ、高校野球、大学の体育会を通して、非常に多くの方々から、多大なるご支援を賜ることで、野球を続けてこれました。本当にありがとうございます。

ここで本来は「"無事"続けてこれました」と言いたいところですが、度重なるケガや故障やケガや手術やケガやケガやケガなど、無事ではなかったのが残念です笑

さて、漸くここからが本題です。

私は今まで「応援ありがとうございます」という何気ない感謝の言葉を、特に何の感情もなくサラッと使っていました。

これまでの人生はとても幸いなことに、常に応援される側の人間でした。「応援ありがとうございました」と言うことができる幸せな環境にいました。それも2019年11月の引退をもって、応援されるのが一旦終わりました。

引退してから大学の他部活や他大学の野球の試合を観に行って、初めて応援を外側から行った気がしました。今までは自分もフィールドの内側にいて応援を受けることがあったので、そこまでスポーツ、競技者のカッコよさに気づいていませんでしたが、自分が競技者ではない状態で見てみると、段違いに輝いて見えました。

また、今までは、フィールドで輝いている選手を見ると、「何で自分は外側から見ているんだろうか」「自分ももっと努力して高いレベルに到達しなくてはいけない」などという競技者としての思考が大半を占めていました。

しかし、引退して、野球に関しては、もうこれ以上練習しなくていいという状況になって、初めて、純粋に他人を応援するということを経験し、応援の本当の楽しさや価値に触れました。

応援のありがたさを知っていたつもりでしたが、引退して漸く、その本当の価値や意義を理解した気がします。

活躍した時に1番嬉しいのは、応援してくれる方が喜ぶ顔を見れた時です。このことは現役時代からも分かっていましたが、応援する側に立っても選手達のモチベーションとなれるよう、これからはOBとして後輩を応援したいと思います。

また、改めて(というか、初めて本当の価値を理解した上で言いますが)、ここまで野球を続けてきた上で、関わってくださりました全ての方に応援ありがとうございましたと感謝申し上げます。

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