普通の大学生がうつ病になった話②クエスチョンパーティーと奈良旅行(大学2年、3-4月)


人生の夏休み真っただ中だったはずの大学生が、何にそれほどのストレスを感じていたのか。

後から思い出すと分かりますが、当時は気付きませんでした。

そもそもうつ病とは「はっきりした原因が分からない憂鬱感」に悩まされるものです。日頃のストレスがじわじわと私の心を侵食していったのだと思います。

私の場合、そのストレスとは「やりがいのない日常」でした。

高校生まで部活や勉強で多忙だったこともあり、大学では自由に気の向くまま好きなことをしたいと思っていました。そしてその通り、サークルにも入らず本格的に何かを頑張りもせず、「適当に生きる」をモットーに楽そうなアルバイトを転々としていました。

高校までの束縛からの解放で、初めは自由をとても楽しみました。

しかしこのとき、大学2年の終わり、その生活に疑問を感じ始めたのです。

私は海外旅行が好きで、春休みには海外に行きたいと思っていました。しかしこのときはお金がなかったのか(あまり覚えていませんが)、海外旅行ではなく、高校時代の友人と京都奈良旅行に行くことを計画していました。

そんな私が春休みにしたことといえば、アルバイトです。

私はあろうことかこの時アルバイトを3つ掛け持ちしていました。

小学生のスポーツ指導、漫画喫茶、事務です。

どれも私にとってはそれほどの体力と気力も使わず、ゆるいアルバイトでした。

しかし3つも掛け持っていると、それぞれのシフトは週1,2日であっても、すべて合わせて週に3-6日ほど働いていることになります。

実際にバイト戦士になって気づいたのが、毎日行く場所が違うと疲れるということです。1つの職場で同じ時間働く方が、私には向いていると感じました。

アルバイトは多くても2つにして、できるだけ環境変化のストレスを減らしなさいと過去の自分にアドバイスしたいです。

そんな暮らしを春休みの2か月間続けました。

掛け持ちのストレスに加え、特に事務のアルバイトでは、いつも虚無感を感じていました。

一日に何時間も椅子に座ってパソコンを見続け、データを集める。あれ、何が楽しいんだろう?この時間で、何が学べるだろう?家にいたらもっと有用なことができるんじゃないか?でもお金を稼がなくちゃ・・・海外旅行にもライブにも行きたい。

こんな思いを持ちながら、事務作業を続けていました。何日も通い、何時間も作業をする中で、次第に頭の中では勝手に話題が広がり、もっと訳が分からないことを考えていました。

事務作業をするために私は生まれてきたのか?私は何をするために生まれたんだ?そもそも大学に入ってから何もしてないじゃないか。人生ってこんなにつまらないものっだったか?でも今はこの生活をすることしかできない。なぜ大学に入ったのだろう。今私は、何が楽しくて生きているんだろう?

この考えは頭の中を無限ループし、一日中私の脳内を飛び回るようになりました。


春休みですから、普段会わない人に会いたいと思っていました。

アルバイトで出会った、私が慕っていた30代の方と食事に行きました。「最近何をしても楽しくないんです、なんで生きているんだろうって思うんです」と言ったところ、「うつ病ってこと?」と逆に聞かれました。え?そうなの?知らないですよそんなの、こっちがききたいです。と思いつつ、「そこまでじゃないと思うんですけどね~」とか言っていました。

高校時代の可愛がっていた後輩と食事に行きました。ここ最近頭の中にずっとある純粋な疑問を投げかけました。「何が楽しくて生きてるの?」「あんまり意識したことなかったです、なんでしょうかね。でも今は、大学の勉強とか普通に楽しいです」こう言われて、私の中にはさらなる疑問が。(大学の勉強が楽しいのは分かるけど、それだけで生きていけるの?なんで??????)

生きる口実がない。

みんな何が楽しくて生きているのか、全く分からない。

とにかくこの頃の私の頭の中は「なんで生きているんだ?」「生きる意味ってなんだ?」「みんなどうこの問題を処理しているの?」というクエスチョンマークで埋め尽くされていました。


3月中旬の(祖母との最後の旅行になった)家族旅行、そして3月下旬、友人と行ったスポッチャも、大好きなアーティストのライブも、この時はまだ楽しめました。


4月の頭、高校時代からの親友と京都奈良へ旅行に行きました。長い休みに入ると必ず旅行の約束をする友人です。高校時代には私の癒しであり支えになってくれました。この旅行もずっと計画していたものです。

いつも通り楽しい旅行になると思っていました。今思うと、友人にとても申し訳なく思います。

奈良は中学の修学旅行で訪れたこともあり、私にとってそこまで目新しい土地ではなく、期待値もそんなに上がらないまま当日を迎え、旅行に出発しました。ということで少々ローテンション気味の私の今回の旅行の目的は「癒し」でした。

予算の関係で旅館には泊まれず、少しリーズナブルな宿になりました。宿に着いた瞬間移動の疲れで動けなくなりました。なんでこんなに疲れているのだろう。友人もベッドに寝たため、私も昼寝しました。少し経ち「そろそろ外出よう」と誘われましたが、疲れて動けませんでした。誘いに乗れずもう少し寝ました。

日が沈んでしまい、やばいと思い力を振り絞って起きました。友人様申し訳ありませんでした。行きましょう。

夜道を歩いて周囲を探索しました。

そんなには歩かないだろうと厚底のおしゃれ靴を履いてきてしまった私は、体力がゴミです。日々の脳内クエスチョンパーティーで体力気力を奪われていることもあり、余計にすぐ疲れます。それもあり、私は後半不機嫌になっていたと思います。言わずとも「帰りたい」を露骨に態度に出していたと思います。自分でも自分がウザい言動をしていると自覚していました。でも止められませんでした。疲れが限界でした。ごめんなさい。

でも最悪だったのは翌日です。

昼から奈良公園を歩き回りました。自然の中を歩いたり、寺に入って大仏を見たり、鹿にせんべいをやったりと楽しかったです。

私の問題行為があったのは神社です。もう記憶がありませんが、春日大社だったのでしょうか?とにかく山道を登って神社へ行きました。近くにもいくつか神社があった気がします。私はもう他の寺や神社を見て、正直飽きていました。どれも同じようなもんっしょ。くらいの気持ちでした。

しかし友人は元々お寺や神社が好きで、鳥居をくぐるときやお賽銭をするときにもしっかり体裁を気にかけ、そして御朱印帳も集めているような人でした。私はそういったことにはあまり興味がなく、御朱印帳なんて特に興味がありませんでした。最終的には燃えるゴミになっちゃうものなのに。(私のモノに対するスタンスは全てこんな感じです)

当時の私は興味の無さに加えて疲れも溜まっており、お腹も空いていました。歩きながら見て回るような体力と気力がありませんでした。楽し気に神社を見て回っている友人に「神社の何がそんなに良いの?」と聞いてしまいました。恐らく言葉に棘がありまくりだったと思います。申し訳ない。しかし、そのころ脳内でクエスチョンパーティーが行われていた私にとって、それは純粋な疑問でもありました。何度か問い詰め、「何って、意味があるわけじゃなくて、パワースポット的なのが良いんだよ」というようなことを言われ、ああ、何がってわけじゃなく雰囲気が良いのか。と半分くらい納得しました。(残りの半分は、じゃあなぜ色んな所を見て歩き回る?という疑問でした)

そのとき、神社の奥で衣装を着た人らが現れ、何かの儀式が始まりそうでした。聞くところによると、1時間後にその儀式が始まる様です。

なんで今やらないのか。その儀式は少し面白そうだと気になりましたが、時間が微妙すぎる。友人に相談すると、「一回別のところ見て、それから戻って来よう」という提案がありましたが、この山道をもう一度往復する体力がありません。結局、諦めて昼食をとることにしました。今考えても、このときの私は最低でした。自分のこと以外考えられず疲れ切っていました。

夜、ホテルで私の心をチャージするためにSNSを見まくっていた覚えがあります。オタ活で元気を取り戻しましたが、本当はもっと友人と話したかったです。ただその時のこころの状態では無理でした。

食事の時間など、身体的な疲れもない時間は、割と穏やかに楽しく過ごしました。

普段であれば、身体的に疲れていても他人を気遣う最低限の心の余裕は持てていました。元々何かに「イラつく」ことは滅多にない性格です。キツい口調になることも滅多にありません。このときは心の余裕というものが全くなかったのだと思います。

結局旅行のテーマである「癒し」は達成できませんでした。「疲れ」が残る結果となってしまいました。

振り返ってみると、3月の時点で休みも目標もない日々のストレスが溜まっていたことが分かりますが、一番の問題が起こり、うつ病となる分岐点となったのは、旅行から帰った次の日のことでした。次回の記事に書きます。


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